index >> the journey to okinawa >> 1st day
人生初の沖縄旅行へいざ出発、と行きたいところだったけれど、なかなかどうして、上手くはいかないもので。
僕はフリーツアーで沖縄に行く予定だった。フリーツアーというのは、往復のチケットだけ、あるいはそれにホテル一泊程度がつくだけの、あとの日程はすべて自由という、アテもなくブラブラしたい人や、ビジネス出張の人なんかがよく使うツアーのこと。
僕の場合、別に団体旅行がしたい訳じゃないし、お金もあまりないし、それに沖縄には友達が一人住んでいるので、このフリーツアーでぶらりと遊びに行こうと思っていた。宿はこの友人の家に泊まればいいし、有り難いことに車も貸してくれるとのことで、これは楽勝だと、気軽に遊べると、そう思っていた。
とまあ少々回りくどくなってしまったけれど、要は台風でフライトが中止になり、ツアー自体も中止になってしまったのである。旅行会社に問い合わせると、延期はなく、後日返金するとのこと。
これは弱った。この機会を逃したら当分沖縄に行く機会なんてないだろうし、しかし改めてフリーツアーを予約するとなると十日以上先になってしまう。仕事の都合でそれはできないので、かくなる上はJALから直接購入かしら、とも考えた矢先、沖縄在住の友人から連絡が来る。
「自分の持ってるノースウエスト航空のマイルをアレしてコレすれば安く来られる」
まさに渡りに船とはこのこと。「アレしてコレして」というのは、別に公表できないわけではなくて、ちゃんと正式な手続きなんだけれどもちょっとややこしくてよく覚えてないためにこういう表現をしている次第。
とにかく、予定より遅く(5日出発→9日出発)、短く(6日間→5日間)なってしまったけれど、ようやく沖縄に行けることになった。
そして、ようやく出発の日、9月9日を迎えることになる。
その日は朝からいい天気で、まあ快晴とはいわないまでも、心地のよい夏空が広がっていた。
飛行機に乗るのは、考えてみれば3年半ぶりということになる。折角だから空の風景でも楽しみたいものだったけれど、チェックインした時間が遅かったせいか、窓際というと翼の上しか残っていなかった。それでもまあ外が見られるだけいいかなと、少しだけ心躍らせながら離陸を待っていた。
空の上から小さく富士山が見えて、そんなサイズだったらいつも見ているじゃんかと、そうは思っても他に見えるものといえば空の青──地上で見るのよりは少しだけ濃い青──と、雲の白──これはいつも通りの白さ──で、目につくものが富士山くらいしかなかったというか。
那覇空港は自衛隊も一部共同で使用しているということもあって、軍用機も多く並んでいた。これは羽田にも成田にもなかったし、千歳にもなかったから、という理由だけで、あぁ、沖縄に来たんだなあと、お手軽な感慨を抱いてみたり。これがあとでちょっとしたイベントにつながるのだけれどそれはまた後日ということで。
着陸中、、窓から沖縄の海が見えて、隣に座っていた二人組の女の子の片方が、その色をこう評した。
「うわスゴ、エメドリ色だね」
「エメドリ色って何?」
「エメラルドグリーンってあるじゃん? それ」
「あー、アハハ、言わねーって」
エメラルドグリーンだったらエメグリ色ではないのだろうか。そうは思ったけれど、彼女にとってはそうでないらしい。色々な略し方があるものだと思った。私鉄の「京王線」を「京キング」、「井の頭線」を「井のヘッド」と呼ぶ感覚だろうか。よくわからないけれど。よくわからない上にいささか古い呼称だけれど。
そして、いつだったか、沖縄に戦後できた初の鉄道ってことで話題になったモノレール「ゆいレール」に乗って一路儀保駅(終点首里駅の一歩手前)へ。
首里城というのはほとんど原形を留めていなくて、かつて首里城があった場所に、首里城を模した建物があるだけで、別段面白いものではないよという話は聞いていたのだけれど、モノレールに乗ってみたかったし、モノレール沿線以外だと車がないことには身動きが全然取れないわけで。
まあ結局の所、言い訳なんか必要ないくらいに理由のない彷徨だったわけで。
とまれ儀保駅を降りると駅の掲示板があって、「平和希求のお札2千円札をもっと流通させましょう!!」という張り紙があった。
とはいえこれは別に沖縄全土で推進している運動でもないらしく、5日間で二千円札を使ったのは一度もなかったし、おつりとして返ってきたことも一度もなかった。
自動券売機の中にはお札を貯めておく金庫が入っている。千円札と五千円札はおつりとしてお客に戻すことがあるから専用の金庫があるのだけれど、一万円札と二千円札はおつりとして出すことがないから、同じ金庫の中に一緒くたにして納められる。ゆいれーるの券売機もそうなっているはずだから、二千円札を吸い込むだけでそれほど流通に寄与しているわけでもないんじゃないかと思ったけれど、こういうポスターというのは啓蒙が目的だから、まあそれはそれでいいのかも知れない。二千円札が流通することによってどんなメリットがあるのかというのを示してくれたら、もうちょっと効果も上がるのかな、と思ってみたりもした。
この日に購入したガイドブックによると首里城の最寄り駅は首里駅ということになっていたけれど、儀保駅で降りたのには一応理由があって、ここから首里城へ行く途中に沖縄そばの店があるとのことだった。中でもソーキそばという軟骨付きの豚肉をのせたものが有名で美味しいという話を聞いていたから、楽しみにしていたのだけれど。
途中見かけた沖縄博物館(正式な名前は失念)が臨時休館の看板を出していて、僕と同じように一人で観光していた女の子がその看板の前で立ち止まり、信じられないといった風に口を押さえていた。人が息を飲む瞬間を、とても久しぶりに見たような気がした。そんなに落胆するほど素敵な何かがその博物館にあったのかしら。
その博物館の入り口からは、堀と森とを挟んで首里城が見えた。そしてその堀と森越しに写真を撮っている人がいた。堀も森も首里城もどうでもよかったけれど、その光景がなんとなく面白くて、思わず僕もシャッターを切っていた。
僕のカメラはSONYのSyber-shotUという機種で、このカメラを譲ってくれた人が曰く「デジカメ版写ルンです」というような代物で、ズームも何もない、とにかくその光景が残せるというだけのカメラ。それでも僕にとってはこれで充分だった。
僕は風景写真よりもこういった人の写真を撮るのが好きで、なんでもない人たちのなんでもない行動であればなおさら面白い。この周りは民家が建ち並んでいて、僕ら観光客ですらもその生活の中に組み込まれているような、そんな感覚を覚えたのだけれど、この写真を見るとなんとなくその時の感覚を思い出せる。
そんな寄り道をしながら、ガイドブック片手に沖縄そばのお店に着いた。着いたのだけれど、「本日定休日」という看板が。よく見れば確かに「木曜日定休」とあるし、今日もまた木曜日であることに間違いはない。やれやれ、さっき博物館で息を飲んだ女の子の気持ちが少しだけ解ったような気がする。
仕方なく、すぐそばにあったたこ焼き屋でたこ焼き(8個150円、安い)を買って、ついでにさんぴん茶を買って、首里城のどこかでのんびり食べようと、上り坂を歩いていった。
二度あることは三度あるというか、博物館が閉まっていたときからなんとなくそんな気もしていたのだけれど、首里城も閉まっていた。
「展示物の害虫駆除及び建物等の総合点検のため、平成16年9月7日から平成16年9月9日までの間、有料区域(正殿、南殿、北殿、奉神門)・首里杜館等を閉館いたします」
ただまあ、無料開放されている場所(下之御庭部分)は自由に入れるということなので、僕にとってはそれほど問題ではなかった。さっきの女の子はここでも息を飲んだのかな、と少しだけ考えたくらい。
一応あちこちの写真も撮ったけれど、それよりも気になったのは他の観光客たちだった。
ナントカっていう門の前でカップルが写真を撮っていた。三脚を立てて、見晴らしのいい景色をバックに記念撮影をしようとしていたのだろうけれど、どうもカメラのタイマーか何かが上手く動かないみたいで、彼の方がしきりにカメラと女の子の間を行ったり来たりしていた。
彼は上手く動かないカメラに対して幾分苛立っている風だったけれど、彼女の方はそんなことお構いなしで、カメラを覗き込む彼を余所に、景色を見たり、通りがかったおばちゃんに笑いかけたりしていた。そんな二人が微笑ましくて、とりあえず僕も写真を撮ってみた。
首里城のてっぺん近くにある休憩所で、拙い演技のおばあちゃんと子供が首里城の魅力を紹介するビデオを見ながら、さっき買ったたこ焼きとさんぴん茶でお昼にした。たこ焼きはなんだか昔学園祭で自分が作ったたこ焼きに似てて、さんぴん茶はただのジャスミン茶だったけれど、そういうどうでもいい、行き当たりばったりな感じが旅行に来ているような気がしてきた。
飛行機というのはスピードが速すぎて、意識が移動の速度についていけないなんていうのを前に村上春樹の小説で読んだのだけれど、丁度そんな感じ。遅れていた意識が少しずつ追いついてきたような。
適当に腹をふくらせて、引き続き首里城をぶらついた。ガジュマルは不気味にたたずんでて、高い城壁に若い観光客が登って、沖縄の民族衣装を着た係員の人が何度も止めに走っていた。係員さんは疲れている風だったけれど、展望台への道がわからなくてうろうろしていたら、「こっちから行けるよ」と教えてくれた。その時また誰かが城壁に登って、そちらを一瞥してから僕を見て苦笑し、また降りてくださいと大声を張り上げながら走っていった。
展望台からの景色は確かに見晴らしもよかったけれど、遠くに広がる海は確かに綺麗だったけれど、眼下に広がるのは那覇の近代的な町並みで、少し拍子抜けだった。沖縄に何を期待していたのか、今ではよく思い出せないのだけれど。
別に急ぐわけでもないから首里城をぐるりと歩いてみたら、途中で作業服を着た、明らかに観光客ではなさそうな二人組を見つけた。
一目で作業服とわかる格好(一人のズボンはスーツだった)で構造強度がどうとかそういう話をしていたので、おそらく建築業者の人とかだと思うけど、このミスマッチが沖縄の面白いところだと思った。観光したいならあんた方で勝手にやっててくれ。うちらは仕事あっからさ。そういう適度の不干渉が心地よいのは東京的なものの考え方だからなのかしら。
点検で入れない御庭(うなー)も、その外観は見ることができて、そこでもカップルや家族連れがたくさんいて、やる気のない修学旅行生(しばらく立ち聞きしてたけれど、首里城の話なんかいっこもなくて、中間テストがどうとかそんな話を延々と)もいて、やけに高そうなカメラで写真を撮ってるプロっぽい人もいて、立ったまま居眠りしてる係員もいて、人間観察としてはとても面白いスポットなのかも知れない。
帰り際、20代後半と思しきカップルに声をかけられた。僕は一人でブラブラするのが好きだけれど、旅先のナントカを期待していなかったわけでもない。ましてやここは沖縄である。女の子から声をかけられたら胸だって踊る。たとえそれがカップルの片割れであっても。バレンタイン・デーのチョコレートに妙な期待を抱いてしまうようなものかも知れない。
たった一言かわしただけとはいえこの遠い大地で巡り会った人たちなのだから、楽しい旅行になりますようにと思いながらシャッターを切った。本当ですよ?
首里城を出てすぐの所に、猫の集まっている公園があった。
痩せこけたその身体は彼らが野良であることを饒舌に物語っていた。僕が近付いてもそれほど逃げず、触ろうと手を伸ばすとようやく立ち上がって退いた。けれどもしばらくするとまた戻ってきて、太陽の光を浴びてまどろんでいた。できるだけ体力の消費を低く抑える術を身につけているのだろう。
その公園には池があって、大きな錦鯉や鴨が泳いでいた。猫たちはその鯉だか鴨だかをぼんやりと眺めていた。
一匹は石垣の縁から顔を出して見下ろし、もう一匹は池の縁から覗き込んでいた。彼らでは鯉も鴨も到底捕まえられそうになかったけど、それでも飽きずにいつまでも眺めていた。
僕もそんな猫たちをずっと見ていてもよかったけれど、さすがに10分ほどで立ち上がった。その頃には空模様も幾分怪しくなってきていた。
それでも儀保駅に戻るまではどうにかもったし、途中、新垣菓子店というところでサーターアンダーギーとちんすこうを買うくらいの時間もあった。
那覇のメインストリートでもある国際通りに降り立ったとき、ついに雨が降り始めた。
雨は瞬く間に勢いを強めて、スコールになった。僕は慌ててバッグから折りたたみ傘を取り出したけれど、周りを見ると、傘を差している人なんてほとんどいなかった。あとで聞いた話だと、沖縄の人というのは傘を差さないらしい。この時も僕の他に傘を差している人が数人いたけれど、あれはみんな観光客だったのかも知れない。
手をつなぐかつながないかという微妙な距離で歩くカップルがいたけれど、あの二人は傘なんて持っていなかったから、観光客じゃなくて地元の人だったのかも知れない。
ここで僕は沖縄在住の友達と落ち合う約束をした。もうすぐ近くまで来ているというから、適当にお土産屋を見て回ってみた。
まず目につくのは「海人」とプリントされたシャツを売る店。「サッカー魂」とか、あんまし沖縄と関係なさそうなシャツも一緒に売ってて、しかもこのシャツが至るところで目につく。国際通りだけでも5件近くあったし、他の場所でも売っていた気がする。沖縄土産としてはポピュラーなのだろうけれど、あまりにポピュラーすぎて僕の食指は伸びない。
それでもシャツっていうのは自分への土産には丁度良くて、一枚くらいは欲しいなあと思っててあれこれ回った挙げ句、話はちょっと前後するけれど、鍵石(キーストーン)というところで売っていた「まよけダンス」のシャツを購入した。
沖縄っぽいのかどうなのかいまいちわからないけれど、魔を払う気があるんだかないんだかよくわからない、投げやりな絵柄がお気に入りで、生地もそこそこ良くて、そのうち着て歩いてみようと思っている。公式サイトによると「楽しくておかしな、変なシーサーが、魔よけのダンスを踊っている様子をTシャツにしました。変わったキャラが人気です。」だそうだ。
そうこうしているうちに雨も止んで、濡れた傘をどうやってしまおうかと思案に暮れている僕を嘲笑うように、Tシャツ一枚の男性が自転車で通り過ぎていった。
特に買い物する気もなく国際通りをブラブラしつつ、僕は友達のO君と合流した。彼は元々東京の人間なのだけれど、漫画を描くためにと言って、今年の6月から沖縄に移住している。今月下旬に〆切を控えているそうで、比較的修羅場だったのに色々とお世話になりまくり。この場も借りて本当にありがとう。
その彼と改めて沖縄そばにトライ。ようやくソーキそばと対面できた。豚肉は程よく煮込まれてて、軟骨がこりこりと歯ごたえがある。麺は、いつも食べているそれに比べたらいささか頼りない気もしたけれど、慣れればこれも美味しいらしい。
このあとに先述のまよけシャツを購入して、それから牧志の公設市場へ。小さな商店がひしめく商店街の奥に、その市場はあったわけで。
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沖縄の市場の何がすごいかというと、並んでいる魚たちの極彩色じゃないかと思う。本当に鮮やかな青や緑が所狭しと並んでいて、これ本当に食べられるのかと首を傾げたくなるような、でもうっかりそんなこと口にしようものなら、お店のおばちゃんからいかに美味しいかということを一気にまくし立てられる。適当に相づちを打てば泥沼で、最後には何か買うか無理矢理逃げ出すしかない。
できることならそんな活気のあるところを写真に撮りたかったのだけれど、それこそ何か買わされそうな気がして(写真を撮ったら、ということだけでなく、単に立ち止まる時間が増えるので)、カメラを出すことができなかった。だから公設市場で撮った写真は、市場の端っこの方、薬とかが売られている、比較的人の少ないところだけだった。
珍しいのは魚だけじゃなくて、お肉のコーナーでは普通の豚肉、牛肉と一緒に豚の足、いわゆる「トンソク」や、豚の顔を丸々真空パックしたものなんかもあって、トンソクはともかく、豚の顔なんて一体どんな料理に使うんだろうと、でも怖くってそんなことお店のおばちゃんには聞けなかった。時間があって、お金もあって、その日の晩ご飯を何にするか全然決まってないときだったら、今日みたいな冷やかしじゃなくって、ちゃんと買い物もできたのだけれど。
国際通りを後にして、O君の家に向かうことにした。彼の家は勝連という場所にある、と言って、勝連がどこにあるかがすぐにわかる人はあんまりいない。まあそんなのは勝連に限った話じゃなくて、東京都杉並区がどこかっていうのを沖縄の人が知らないようなもので、当たり前の話なのだけれど、とにかく、その勝連というのは決して観光客に対してメジャーな場所ではないということが言いたいだけで。
那覇からなら、車でだいたい1時間とかそこいらで着く。沖縄市の東側の、ちょっとだけ突き出た半島に勝連はある。インターネットだったら地図サイトのアドレスでも出してこの辺です、と書けば済むことなのだけれど、口頭で説明すると少々面倒くさいことになる。この面倒くささは4日目に味わうことになるので、その日の日記で書いておこうと思う。
沖縄の西側を縦断する国道58号線、通称「ゴッパチ」を北上していくと、フェンスがあちこちで目に入る。それらは言うまでもなく米軍基地で、ちょっと前に大騒ぎになった普天間飛行場だったり、瑞慶覧の米軍基地だったりした。
僕は昔サッカーをやっていて(十年近いブランクを経て今もやっているのだけれど)、関東村跡地というところに良く試合をしに行っていた。関東村跡地は調布飛行場のすぐ隣にあって、だからサッカーグランドのすぐ脇にフェンスがあって、その向こうにはもう滑走路があるという状態だった。
フェンスの向こうに滑走路という光景だけは似ているけれど、多分そのフェンスはもっとずっと高いんだろうな、と、暗いゴッパチを疾走しながらふと思った。日本にいると国境というものを肌で感じることは少ないけれど(日本の国境はすべて海の上にあるし)、あのフェンスは間違いなく国境なのだろう。
既に日も暮れて、あたりは真っ暗で、しかも見知らぬ土地で少々不安に駆られながらも、まだ3ヶ月目とはいえ地元民がついているので、これといった問題もなく勝連に辿り着くことができた。途中でスーパーに寄って食材を購入し、O君の家に到着。
彼の家は貸家というか貸部屋というか、3階建てのうち、1階が駐車場で、2階と3階が部屋になっていて、その2階部分を彼が借りていた。4LDKというのだろうか、随分と広々とした作りで、なかなかいい家だった。
この広い家に彼が独りで住んでいるのかというとそうではなくて、ちゃんと相方がいる。Kさんという女の子で、彼女もまた漫画家を志していて、今月下旬に〆切を抱えているのだという。二人でネタ出しやらベタ塗りやらいろいろやっていて、彼は彼女の手伝いで忙しい(もちろん自分の原稿もある)らしい。
その日の晩ご飯は彼が作ったゴーヤチャンプル。スーパーでもやしが見つからなかったけれど、ゴーヤチャンプルっていうのは、とりあえず冷蔵庫にあるものをぶち込めばいいらしいので、卵やらキャベツやら、SPAMとかいう迷惑メールみたいな名前の肉の缶詰を混ぜ込んで、大きな皿に山盛りのゴーヤチャンプルが出来上がった。
それとグルクンの唐揚げというかムニエルというか。そして島豆腐。
見た目は多少アレだったけれど、当たり前のように家庭的な味で、これはこれで美味しかった。ゴーヤチャンプルはコショウ味とSPAMの塩味が効いていて、ゴーヤの苦みも丁度良いくらいに抑えられていた(以前関東で食べたゴーヤチャンプルは、ゴーヤがひたすら苦くて、しまいにはゴーヤをすべてよけてしまった)。グルクンは骨が多かったけれど、それでも淡水魚みたいな味で美味しかった。島豆腐は、ちょっと濃いかなあという程度で普通の木綿豆腐との違いがよくわからなかった。聞いた話だと、もっと濃いのがあるらしい。
食後は、冷蔵庫から泡盛の久米仙を出して三人で飲んだ。といっても彼女はまだ作業があるからほんのちょっとだけ。後は僕ら二人で飲み干してしまった。500mlくらいあったと思うけれど、シークワーサーの原液で割るとこれが飲みやすくて、いくらでもいけてしまう。シークワーサーの原液は割合高くて、1リットルで1500円くらいするのだけれど。
シークワーサーだけだとちょっと濃いかなあと思ったら、それに少し水を加えればいい。柑橘系の酸っぱさと甘さが丁度良い。これがどんな味かというと、かぼすとレモンを混ぜて濃くしたもの、と言ったら近いかも知れない。最初の口当たりでかぼすの匂いととんでもない酸っぱさが口に広がる。
シークワーサーのジュースだったら東京でも売っていたけれど、原液とはちょっと違う風味になってしまっている気がする。あの荒々しいまでの柑橘具合が殺されてしまっているような。シークワーサーのアメやらハイチュウでもだいたい同じことで。沖縄に来たのなら、やっぱり原液を一度は味わってみた方がいいかも知れない。
とにかく、彼女が作業に戻った後も、僕と彼とで、残ったゴーヤチャンプルをつまみに、ひたすら泡盛を開けていく、そんな沖縄1日目の夜。
二日目へ(作成中)