ひとつの物語の中で、主要なキャラというのは四〜七人くらいがちょうどよい、というのはよくいわれる経験則です。ライトノベルにおいてもそれはほぼ妥当しますし、また「ハーレムもの」でも通例その程度の人数となっています。古くはおニャン子クラブ、近くはモーニング娘。に代表されるようなアイドルグループも、一人一人を個別に認識するのであればやはり十人以内が適当で、それを越えると相当のファンでもない限り中心人物以外は見分けがつかなくなります。(中略)
ちなみに上限のほうは、どうやら七〜九人くらいに「印象の壁」みたいなものがあって、九人を超えると受け手のほうが混乱し始めるようです。
(中略)
心理学の研究によれば7+2くらいが人間の短期記憶の限界らしいので、万国共通の限界がそこにあるのでしょう。キャラの数が増えた時に同じやつばっかりだとつまらないし、作る方も区別がうまくいかないということで、「キャラに対する進化圧」とでもいいましょうか、そういう根源的な機構がそこにあって、ライトノベルといえどもそれに従っているらしい……と御理解ください。
もう一つ脇道に逸れて、「主人公」とはなんぞや、という話。
「FIFTH EDITION ネットワーク外部性と漫画などのストーリー構成についての考察」より。
つまり、主人公が、ハブである理由とは、これまたメイルゲームにも当てはまる話で、メイルゲームが物語という形式を採っている以上、登場人物がハブ(中継点)となり、他の登場人物とリンクを張り巡らせていく経緯は、プレイヤーを引きつける大きな要因になっています。
作中の人物の多くが、主人公を知っている状態にすることにより、
作中全ての人間の共通意識としての主人公のビジョンを作りだし、
そうすることによって、「他の多くの人間が知っている事を、人間は知りたがる」
「沢山のリンクをもつノードに優先的にリンクさせる」という状況を作り出し、主人公に対して、
読者側の興味をそそる部分を作り出しているのである。(中略)
最初の、リンクが少ない状況での主人公というのには
普通の読者は興味をもちにくい。だが、物語が進み、主人公の周りに複雑なリンクが張り巡らされ
主人公が否応なしにネットワークに拘束され、そして
ハブに成長し、ネットワークからの拘束がもたらす苦悩と
ハブとして、力をつけていく
(ここではリンクを増大させていく、あるいは敵対者のリンクを減らす事を指す)
事で、主人公は、現実の人間関係でそうであるように、否応なしに
注目を集めていく。目が離せなくなり、主人公のことを知りたくなる。
ハブとしての存在はナウシカ一人でなくクシャナとの二極構造であったことが検証できたように思う。この物語は少なくとも途中までは二極のヒロインが近づきつつ、離れつつしながら進むのだと思う。……と結論づけています。
クシャナ的なPCが「物語における役割を果たす」ことで周囲から認知され、そして関わりを持たれることで「ハブ」として成長していく。
メイルゲームで「主人公」あるいは「シナリオ一本あたり7+2人の主要なキャラクター」になるためには、このようなステップが一例として挙げられます。
どうやったらそうなれるかということを、ここでは考えていきます。
「目的」と「動機」を定めることで、読者は物語の概要を理解します。
ですが、まだ「目的」も「動機」も曖昧です。
なぜ主人公は世界の平和を願っているのか。
なぜ主人公はサラマンダーを倒そうと考えたのか。
なぜ主人公はサラマンダーを倒すだけの力があるのか。
こういった主人公に対する「なぜ」に答えていく行為を、この本では「設定をつける」と呼んでいます。
(キャラクター設定とは)まさにこのキャラクターがどういう人物像なのかを決めるものであり、目的や動機が無理のないようなものにするためのものです。設定をつけることで、漠然としていた「目的」や「動機」がはっきりとしてきます。
マンガを描く場合は、基本的に「目的」はなんでもよいわけです。「囚われのお姫様を救う」でも、「武闘大会で優勝する」でも、「クラスで一番の美少女とカップルになる」でも構いません(これらはキャラクターの目的であり、作者の目的──こんな物語を描きたい──ともほぼ合致します)。
一方、メイルゲームではそうもいきません。もしそのゲームの世界では何らかの結界によって一切の戦闘が禁止されている、という設定があったら、武闘大会はそもそも開かれません。その世界では「武闘大会で優勝する」という目的はあり得ないのです。
スタートブック等からゲームの世界の設定を読み取って、その世界の中で達成可能な「目的」を考えることから、「メイルゲームにおける主要なキャラクター」は始まるのです。
スタートブックや初期情報の時点では世界の設定についてはわからない部分も多く、いきなり「目的」を考えるのは難しいのかも知れません。だとすれば、もう少し条件を絞ります。ここでNPCを利用する方法があります。
ナウシカを例に取れば、ナウシカもクシャナも「目的」は同じ、「腐海という猛毒の森や凶暴な蟲に侵食されつつある世界で人類が生き延びること」です。しかし「手段」が異なります。ナウシカは「腐海や蟲と共存する方法を探す」であり、クシャナは「力でもって腐海と蟲を焼き払う」であるわけです。
(※注:2007.02に、前者を「動機」→「目的」に、後者を「目的」→「手段」に改めました。併せて他の一部の表記も改めました)
これを参考にすれば、初期情報に登場したNPCと「動機」や「目的」を同じくして、「手段」の異なる(対照的な)キャラクターを作れば、ナウシカに対するクシャナになれるかも知れません。
ちなみに、クシャナはナウシカに対抗するために異なる「手段」を用いているのではありません。クシャナにはクシャナなりの「腐海という猛毒の森や凶暴な蟲に侵食されつつある世界で人類が生き延びる」という目的を持つに至った理由(動機)があり、それ自体はナウシカとは無関係です。「私の夫となる者は、さらにおぞましいものを見るだろう」という台詞にその動機の一端が現れています。いささかメタ的な話になりますが、プレイヤーがNPCを意識したとしても、PCにも意識させる必要はないのです。
初期情報の中にNPCの人となりを、「動機」や「目的」の片鱗を感じさせる描写があれば、それを利用してNPCと対比されるようなキャラクターを作ることで、「主要なキャラクター」になりやすくなるかも知れません。
もちろん主要なキャラクター同士の関わりはナウシカとクシャナの関係以外にも色々な形があるでしょう。それはできるだけ多くの物語に触れて、その中から面白そうな、自分に向いていそうなものを探すことで引き出しを増やしていけばよいです。
そんなわけで、物語を読む際には、主要なキャラクター同士の「動機」と「目的」がどのような関係にあるのかを注目してみるとよいでしょう。
NPCとの対比を利用しないで、独自に「動機」や「目的」を作るというのもアリでしょう。それでも、「このような世界ならどういう『動機』や『目的』が適しているか」を考えるのに、既存の物語はとても参考になるでしょう。
途中で「この場面ではきっとこうするはず」と想像できる、と述べましたが、想像できるということは、それはすなわち一つのパターンであるということです。そのパターン(類型)を分類するのが次章の話です。また「ライトノベル『超』入門」で触れられている「ライトノベル/キャラ類型」も考える題材として面白いので、パターンの分類と併せて述べることにします。
この動機と目的と設定の3つの要素には一連の流れがあることが感じられたと思います。まったく食い違う動機や目的を当てはめると、キャラクターの設定に無理が生じてきてしまうのも把握できるでしょう。本書では、この3つの要素の組み合わせを「キャラクターパターン」と呼ぶことにします。そして、「とらわれの姫君」、「二つの顔を持つ男」など14のパターンに分類しています。ちなみに前書(なのかしら?)「プロの発想法でつくる!ゲームキャラクター 架空世界設計ガイド」では9種類でした。……絶版ということは知っていましたがアマゾンではプレミアついてますね。
どちらかというとうんちくが多かった前書に対して、本書はイラストを多くしてビジュアルからイメージを喚起させ、またマンガのキャラクターの例を挙げ、その次のページでキャラクター作成チャートを掲載しています。
従ってイラストやすでにあるマンガを見て「こういうキャラクターを作りたい」と思った時に、まず何を考えればいいのか、ということがわかりやすくなっています。
たとえば「銀河鉄道999」の星野鉄郎や「鋼の錬金術師」のエドワード・エルリックなどの「満たされずさまよう者」を作りたいと思ったら、キャラクターの名前や年齢の他に、
・何歳の時から放浪/旅をしているのか
・放浪/旅に出た理由
・そのキャラクターが満たされていないもの、欠けているもの
・旅の結果、何によって満たされるのか、補われるのか
を考えよう、と、本書では書いています。これでひとまず「満たされずさまよう者」が完成です。
何も考えずにキャラクターを作ろうとすると、髪型だのスリーサイズだのといった外見から入りがちで、そういうキャラクター作りはおすすめしないと、Lesson1でも書かれています。
メイルゲームの場合、スタートブックのイラストなどを見て「この職業がやりたい」と思うこともあるでしょう。そんな時にはもう一歩進んで、「この職業で○○したい」と「目的」を考えて、そこからパターンを当てはめていくやり方でもよいです。
キャラクターパターン自体が動機、目的、設定の組み合わせであるとしていますが、実際のキャラクターはいくつかのパターンが組み合わせられていることが多いです。
「狗狼伝承」の小笠原周防は「満たされずさまよう者」であり、「創造主に挑む者」でもあり、ヒロインの結宇との関係は「時空を超えた恋人」です。
「撃墜魔女ヒミカ」のヒミカ・シンドウは「二つの顔を持つ男」であり「武装する女戦士」であり「あぶない博士」であり「創造主に挑む者」であるわけです。
特に主人公はこのように複数のパターンを併せ持つことが多いように感じます。それは「はじめに」で述べたように、主人公は多くのノードを持つ(他の登場人物と関わりを持つ)ために、様々な面を有する必要があるからです。
一つしか趣味がない人と、多くの趣味を持っている人とで交友範囲の広さが違ってくるのは、多趣味な人は「他の人との共通点」が多いために、より多くの人と関わりやすいからです。Lesson1で例として挙げたナウシカとクシャナの関係も、目的が同じという共通点があります。
メイルゲームでも「主要なキャラクター」を目指すのであれば、複数のパターンを組み合わせてみるのも有効かも知れません。特にNPCとの対比で攻めるなら、NPCが持っているパターンと持っていないパターンを組み合わせて、共通点と相違点を作ってみるという方法もあるでしょう。
自分で全てを描けるマンガと、文章を書くのはマスターに任せ、また自分以外の登場人物も数多くいるメイルゲームとでは事情は大きく異なってきますが、パターンを踏まえることで「わかりやすいキャラクター」を作り、読者ないしマスターに「自分がマンガ/ゲームの中で何をしたいのか」を理解してもらう、という構図に大差はなさそうです。
さて、そもそも「わかりやすいキャラクター」とは、何を持って「わかりやすい」としているのでしょうか?
僕は「ある状況に直面した時に、どのような行動に出るのかがわかりやすいキャラクター」であると思います。
例えばあるマンガのパロディを作る場合、そのマンガからキャラクターを借りてはきますが、状況はパロディを描く人が新しく作ります。「本編ではこんなシーンはなかったけれど、もしこんなシーンに直面したら、このキャラクターはこうするだろう/こうして欲しい」という想像が、パロディの一般的な構造です。逆に「こんなことはしないだろうけどあえてさせてみる」というのもありますが、それは裏返しているだけで構造としては同じ事です。
で、なぜ「もしこんなシーンに直面したら、このキャラクターはこうするだろう/こうして欲しい」という想像が生まれるかというと、読者が過去に見たことのある似たキャラクターの行動を思い浮かべるからです。
ここで思い浮かべるようなキャラクターにも類型があり、それは「ライトノベル『超』入門」で触れられています。
メガネっ娘、妹、委員長、巨乳、貧乳、戦闘美少女、人造少女、ポニーテール、ツインテール、メイド、猫耳、ツンデレ、年上のおねーさん、エルフ、ロリ、ゴスロリ、どじっ子、ショートカット、お嬢さま、ボク女、オレ女、片目っ娘、車椅子娘、ショタコン、電波系、等々、「属性」と呼ばれたりもする一連の称号です。
これらの類型もキャラクターパターンと同様に、「わかりやすいキャラクター」を作る助けにはなるでしょう。キャラクターパターンに比べれば、その背景は浅く、外見的な部分に留まりがちなのですが、メイルゲームにおいては、第一印象や使い勝手という面から、メガネっ娘や妹といった「属性」を使うのも一つの手段ではあります。
建物でいえばキャラクターパターンは骨組みで、「属性」は壁紙のようなものでしょう。いくら外見だけ取り繕っていても、骨組みがしっかりしていなければ、「キャラが立たない」のです。
さて、キャラクターパターンを組み合わせ、さらに「属性」をつけてわかりやすいキャラクターを作ったとしましょう。きっとその時にはプラリアでも書きたくなるくらいに背景も思い浮かんでいることでしょう。
ですが、メイルゲームの場合、キャラクター設定用紙の紙面には限りがあります。相当に作り込んだキャラクターですから、おそらく規定の紙面では書ききれないことも多いでしょう。
そんな時にどうするかというと、削ります。
おそらくメイルゲームでのキャラクターメイキングは、特徴や技能などを選択肢から選ぶようになっていると思いますが、そんなにいくつも選べるものではないでしょう。限られた選択肢から、限られた数だけを抜き出して自分の考えたキャラクターをそのゲームのルールでもって再現します。一番基本的な、前面に押し出したい部分を選んでいけばよいでしょう。
この時、設定に盛り込めなかった部分は無駄になってしまうのかというと、そうではありません。それらはアクションで発揮していけばよいのです。最初に組み合わせたパターンの整合を取っておけば、あとから出しても矛盾が出にくくなります。あとから色々な側面を見せていくことで、「物語を通じて成長していく」という物語における重要な要素を満たすこともできます。
この「成長」についてはLesson3でも触れるので詳しくは後述しますが、マスターがPCを勝手に成長させてくれるとは限りません。ある程度はプレイヤーの方で「このPCはこういう風に成長させたい」と考えておきたいものです。
例えば感情をあまり表に出さないPCを作るとしたら、最終回で(あるいは何ターン目かに)ぎこちないながら微笑むというシーンをやろう、というのを目的にします(目的なんて最初はこんな程度で構わないわけです)。これも「成長」です。で、なぜ表情を失ったのか、なぜ笑えるようになりたいと思ったのか、それは目標のターンまでに克服できるのか、克服するためにはどんなことをすればいい(したい)のか、なんてことを逆算するように決めていきます。
ここでキャラクターパターンのチャートを活用するわけです。この場合は「満たされずさまよう者」か「塔の中の姫君」が一番近いでしょう。笑えなくなった理由は、恋人との別れかも知れない。だとすれば「時空を超えた恋人」にもなる。改造人間とかなら「創造主に挑む者」でもいい。
できることなら、ここでチャートの穴埋めをする際に、なるべくメイルゲームの世界設定を活かしておきたいものです。「笑えるようになりたい」という極めて個人的な「動機」も、世界設定とうまく絡めれば(例えば笑えるようになるためにする行為が、他の誰かにとって別の意味を持つとか)シナリオの進行に貢献できるかも知れませんし、そうなれば描写も増えて、「目的」も達成しやすくなる、といった寸法です。
ターンが進むに連れて、シナリオの謎やら課題やらが次第に浮き彫りになっていくでしょうから、それに合わせて少しずつ軌道修正していけばよいです。
もし「笑えるようになる」という自分の個人的な動機のためにしたことがシナリオに影響するならば、それは他でもない自分がその物語(世界)の中に存在する意味があるということです。それを感じられるのはとても嬉しいことだと、僕は思います。
キャラクターを目立たせる簡単な方法に「ギャップを盛り込む」というのがあります。見た目や性格などに、普通とはどこか違うものを盛り込むことによって、他のキャラクターとの差別化が可能になります。「簡単な」とは言っていますが、さじ加減は難しいと思います。
前回も触れた「成長」について、本書では次のように述べています。
キャラクターは目的に向かって進む、ということを念頭においてキャラクターを作ってきたわけですが、それはキャラクターがこれから成長していくということを意味しています。成長していくということは、知識や技術、経験などが足りなかったり精神的に未熟であったりといった、「隙」や「ツッコミどころ」がキャラクターにある、と言うことができます。キャラクターをあまり作りこまずに、そういった隙を持たせておく方が、ストーリーを考えていくうえで手助けとなるでしょう。物語(シナリオ)への関わり方は、常に積極的であるとは限りません。やりたくはないけれど、やらなくちゃいけない。苦手なことだけれど、あえて挑戦しなくちゃいけない。そういうジレンマが、物語の重要な要素です。
最近流行の「ツンデレ」は「本当はやりたいことなのに」「やりたくない振りをして」「無理矢理やらなければならない理由を作っている」という一回り半のジレンマ構造です。「アンタが風邪ひいてたって私には関係ないけど、家が隣だから仕方なくプリント持ってきてあげたんだからね」という、その回りくどさ、一手間加えてくれた手料理のようなところが「萌えどころ」なのかも知れません。
最後に「ライバルや脇役のキャラクターも作ろう」という項がありますが、これはメイルゲームではマスターや他のプレイヤーが作っているわけですから、ここで多くは述べません。
マンガの脇役を考える場合、大抵は「主人公とはどういう関係なのか」というところから始まるものですが、メイルゲームの場合はそれぞれ独立してキャラクターが作られています。
その分だけ他者に絡みにくい(相手が何を考えているのかもわかりにくいですし)面もありますが、そこを埋めていくことで多くのノードを持つ、物語のハブ、いわゆる「主要なキャラクター」に育っていくのではないでしょうか。
ちなみに、成長しない「主要なキャラクター」も中にはいます。
「ブギーポップは笑わない」の、表題にもなっているブギーポップこと宮下藤花はシリーズを通して登場する「主要なキャラクター」ですが、基本的にブギーポップは最初から現在に至るまでほとんど成長していません。ブギーポップには迷いもなければ弱さもありません。「ぼくは自動的なんだ」という言葉通り、世界の悪をまるで自浄作用が働くように排除していきます。
もっとも、ブギーポップは人物として考えるより、自然現象のようなものと考える方が適当であるような気がします。物語におけるブギーポップの役割は、「ぼくらは虚空に夜を視る」に登場する「虚空牙」に近いのではないでしょうか。
「死神(ブギーポップ)のいない世界」を描いた「ビートのディシプリン」においてはフォルテッシモがブギーポップに近く、けれどももう少し人間的な「成長」や「変化」をしています。
メイルゲームのPCでブギーポップをやるのは、あるいは上級者向けかも知れません。
宮下藤花との関係は「ふたつの顔を持つ男」で、ブギーポップ単独で考えると「武装する女戦士」、もしくは両性具有的、完全無欠という意味での「双子」に当てはまるのでしょうか。「双子」というパターンで考えるとブギーポップの特徴でもある「左右非対称の奇妙な顔」はなんだか意味深ですね。
とまあそんなこんなで、メイルゲームをライトノベル的キャラクター小説と見立てて、キャラクター作りから「シナリオ内で7+2人の主要なキャラクター」になる方法を考えるという試みをしてみました。
なので、「メイルゲームはキャラクター小説(的なもの)ではない/あるべきではない」と思っている方には、さほど面白くもない話だったかも知れません。
キャラクター小説的とは感じているが、この文章の一部または全部に賛同できないという人もいるでしょう。
僕は、それでもよいです。メイルゲームをどんな風に楽しむかは、まだ考える余地がいくらでもあります。議論をすることで楽しみ方が進化していくなら、それは望むところです。
この文章は、僕がたまたま「メイルゲームはキャラクター小説に似ているところがあるなあ」と感じて、「だったらキャラクター作りをしっかりやればもっとうまくやれるような気がする」と思ったから、こうして「すぐにできるキャラクター作り」という本からヒントとなりそうなところを書き出してみたものです。
目標を「『シナリオ内で7+2人の主要なキャラクター』になる」としたのは、対象をはっきりさせた方が書きやすいからです。「主要なキャラクターになんてならなくていい」という人や、逆に「シナリオでなんて言わず、ゲーム全体で主要なキャラクターになりたい」という人には、その目標に応じて考えることが変わっていくと思います。
メイルゲームにかけられる時間、お金、気力その他諸々は、人それぞれで異なります。
でも「7+2人」というのは、それほど特別なことではないです。ごく限られたプレイヤーだけが受けられる恩恵ではありません。ちょっとした工夫と努力で、誰の手にも届くところにそれはあります。
今回書いたことはいまだ検証途中というか、中間報告のようなものですが、皆さんがメイルゲームを少しでも多く楽しめる一助になれたら幸いです。
ちなみに、散歩執事こと波島想太はエルスウェア社のメイルゲームでマスターを務めてはいますが、この文章はあくまで波島の個人的な見解であり、エルスウェア社や他のマスターの見解とは異なる場合があります。
また、散歩男爵こと柳川房彦氏には、この文章を『散歩男爵』のサイトで発表することについて許可をいただいただけで、内容の監修等はお願いしていません。