★柳川/新城先生のありがたいお言葉の解説(解説文責……:散歩男爵 :散歩執事)




99年12月:「やはりトールキン先生は偉大であります

 波島君に買ってきてもらったおかげで、ようやくトールキンの遺稿集(というか、中つ国とエルフの言語に関する膨大な「一次資料」集)が全部そろったので読みふけっておるわけですが、息子のクリストファ氏の見事な編集の腕もあってか、トールキン御大が「架空の言語と神話歴史を創る際に、どこでどんな風に悩み、苦しみ、逡巡し、はたまたどんな風にEngland的なものを探して採り入れつつ、しかもそこから離れては戻りしていったか」というのが手に取るようにわかりはじめた今日この頃。

 たとえば……ガラドリエルという人物造形。『指輪物語』を書くまで、それ以前に書かれていた原「シルマリルリオン」においては居ないに等しかったのが、『指輪』執筆中にキャラが成長してその後の後期『シルマリル』では確固たる位置を占め、しかし『指輪』刊行後に今度はトールキン自身が「それまでの原シルマリルと『指輪物語』との間のズレ」に悩み出し、ガラドリエルの人物造形をまたまた変更せざるをえなくなり、しかもすでに出版してしまった『指輪』と矛盾しちゃいかんので色々と「仮説」をつくってはまた変更し……などという過程の全貌が、ようやく見え始めておるのです、最近の柳川/新城は。
 以前に出ていたUnfinished Tales(日本語未訳)では、その過程の一部しか出てなかったもので。いや〜、十数年かけてようやく理解できたわい。

 しかし……この遺稿集「The History of Middle-Earth」って、分厚いハードカバーで全12巻もあるんだよな……日本語に訳したら、たぶん20巻くらいには……
 誰が訳すんだ、誰が!
 かくして日本におけるトールキン研究と一般への啓蒙は、すでに20年以上の遅れをとっており……ああ、架空言語学の(本邦での)夜明けは遠い。……

(※執事注:執事波島は99年8月に米国へと外遊し、その際に日本ではほとんど売っていないらしいトールキン全集のうち、暗闇文庫に収用されていない巻を購入してきました。)
 
 







99年11月:「やっと4巻を書き終えたら、編集様にすぱっと一言、
        『じゃ、年末までに5巻のほう、よろしく』
                      と言われた^-^)」
 お疲れさまといいたいところですが、書き下ろし連載(雑誌連載でなく、文庫でのみ出版)というと、そうも言ってられないのでしょうか。
 以前のことはよく知らないのですが、この4巻、ほんとーに最後の最後まで手直ししていたようですし、いろいろと書き足りないところもあったのでは。
 そこを補完するようなお話が、出るのかなぁ?
 あるいは一巻丸ごと新城先生の大好きな「あとがき」で占めるとか。
 
 








99年10月:「ふつうなら 底抜けバケツで事故るのに 抜けていたのが 頭のネジとは
 なんならこの後に合いの手で、「笑うに笑えず、笑うに笑えず」と入れてもいいとこですな。説明不要、東海村JCOの核反応事故です。
 臨界事故っていうとあんまり怖くないけど、こう書くとすごくイヤ〜ンな感じでしょ。
 それにしてもあの場所、狗狼1巻の舞台である(架空の)中里市のすぐ近くなんだよな……もしかして詩乃ちゃんは子供の頃、みんなと一緒に避難したことがあったのかもしれん。←狗狼伝承の舞台となっている年は、今よりも数年先であります。
 
 








99年9月:「世界を革命する力うどんを!
 いや、べつに意味はないんですが。こないだ『ウテナ』を観てきたんで。テレビ版よりも整理されてて、それな閧ノ面白かったっす。要は「王子様を待ってるくせにその実在を信じてない(=だからこそ、それを人工的に創ろうとする)少女漫画的世界から、王子様が存在してたことに(=つまりその実在は信じていいのだし、だからこそこれ以上待たなくてもいいと)気づいたビアンのカップルが、脱出に成功した」話だったわけですな、つまり。う〜ん、なんて分かりやすいんだ。でもやっぱセリフでテーマを語っちゃダメだよね。
 
 








99年8月:「う〜ん、閑院宮
 縁あって、強羅の旧閑院宮(かんいんのみや)別邸へ行ってきたので。いや〜やっぱ戦前の皇族は趣味が良いわ。おかげで小説のネタを二つほど思いつきました。東京でも旧朝香宮邸が庭園美術館だったかになってるから、今度行って来ようっと。あ、待てよ、『散歩男爵』でツアー組むってのもいいな。乞う御意見!








99年7月:「アミダラ女王から金借りろよ、アナキン
 こてこてのスターウォーズファンである男爵が、先日日本公開された「スターウォーズ エピソード1」をご覧になったのちのこの一言。
 「映画を見た方ならわかると思うのだが」とのこと。
 えーと、スターウォーズは今までのものさえ見ていない者としてはなんと申してよいものやら。なんか、ギャグ映画という噂を聞いたのだけれど、本当かしら?







99年6月:「ああ、青春だなぁ
 6月4,5,6日と静岡旅行に行ったときのこと。静岡のとある橋を渡っていて、そこですれ違った少年少女を見て、男爵はしみじみといいました。
 少女は少年のこぐ自転車の後ろに座っており、男爵が見たとき、少女は少年の頬を指でこづき、二人ともとても幸せそうに笑っていたそうです。
 決して美男美女ではありませんでしたが、二人はお互いに本当に満足しているようでした。彼らがこの先もずっと幸せでいられるのかどうか、男爵は非常に気に留めておりました。
 そのころ執事は、「こういう所ってセーラー服が多いんすよねえ。やっぱ制服はいいっすなあ」としきりに感心していましたとさ。
 
 








99年5月:「バーミヤンは陥落したかなぁ
 エルスウェアから徒歩十分ほどのバーミヤン宮前店で会食していたときのこと。しばし歓談にふけったのち、各人の最近の関心事を話す段になった際、男爵はふとそうつぶやきました。
 曰く、このバーミヤンはファミレスバーミヤンの名称の元となった、アフガニスタンの地名のバーミヤンで、現在内紛状態だそうです。そのせいで巨大な仏石像が崩されるなど、被害は日一日と増加しているようです。さて、そのバーミヤンにアハマッド・シャー・マスードさんという軍人さんがおり、男爵はその方のファンだそうで。その方はバーミヤンを守っているので、このお言葉を漏らしたとか。
(アハマッド・シャー・マスード:もとラバニ大統領の側近で国防大臣を務めてたヒト。ドスタム将軍が倒れた今、北部連合で最高の実力者としてパンジシール渓谷を拠点にタリバーンと対抗しています。……だそうです。蘭死郎さんフォローありがとう!)







99年4月:「夜桜があまり綺麗だったので、大声で歌ったのは私です。
住民の方ごめんなさい」
 4月1日の夜、善福寺公園を散歩していた散歩男爵こと柳川房彦氏は、7,8分咲きの夜桜を見上げ、その美しさに見とれて思わず朗々と歌い出したそうな。その反省の意を込めた謙虚なお言葉。
 何という歌を歌ったかまでは教えてはくれませんでしたが、モーニング娘。とかを歌いながら踊っているところを想像すると、なかなかむず痒いものがあります(もちろんそういう類の歌を歌ったのではないでしょうが)。
 そしてその翌日、ついにエルスで夜桜花見大会を決行したのでありました。







99年3月:「海賊王女の凱旋、もう最初の入金があった
 このお言葉を頂いた3月5日現在で、すでに「海賊王女〜」への入金があった。パンフを発送したのはつい先日のように感じるけれど、入金がくると「ああ、いよいよ本番だなぁ」という感慨がむくむくとわいてくる。




99年2月:「大阪のしゃぶしゃぶ肉は、ステーキほども厚い
 A.I.Sさんの大阪イベントに出席した感想の一つがコレ。柳川さんは大阪のしゃぶしゃぶ肉にいたくご満悦のご様子。
 イベントのあとに招かれた夕餉がしゃぶしゃぶだったらしいのだけれど、このいきさつがまたすごい。本来その店は定休日だったのだが、「30人ほど行きますが」と言ったら、店長が「じゃあ、店開けます」となったという。大阪商人の根性が垣間見える一幕。
 その後行く機会があったスエヒロの肉は、皿が透き通って見えるほどであったが、そのとき柳川さんの胸に去来したモノは何だろう?
 なーんも気にせず食いまくれるのがスエヒロの魅力ではあるんですが。


『散歩男爵』トップに戻る