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本テキストは、(有)エルスウェアが運営したメイルゲーム『狗狼伝承〜放課後の旅人たち』にて発表されたものを、同社の許可を得て転載しています。本テキストの引用の範囲を超える無断転載、転用は固くお断りいたします。
→第二回
◆架空言語入門(第一回)◆
{型どおりの挨拶がひとしきり済んだあとで、本題が始まる。}
……というわけでですね、架空言語なんですが。講座を始める前にみなさんへちょっとしたアンケートを取った束が、ここにあるんですが……えー、けっこう多くの方が、「架空言語って何?」と御質問してきたので、まずはそのへんから始めたいと思います。えー、架空言語。の前に、まずは言語のことを考えてみましょう。みなさん、言語ってどんなもんだと思います? 見たことあります? さわったことは?{数名の参加者が冗談混じりに「ある〜」と答える。}「ある」とか言ってるひとがいますね。いかんですね。さわっちゃだめです。危険です。いや、言語がじゃなくて、そういうことを言う人が、ですが。
えー言語というのは、まあ主にこうやって僕がしゃべったり皆さんが「ある〜」とか言ったりしている、この音の連なりである……というのが普通の理解ですが、実際にはそれだけじゃありません。文字で書かれたものも言語だし、こうやって手で単語を表現したりもする手話も、言語です。もちょっと幅広く考えれば、踊ったり手招きしたり、コンピュータにプログラムしたり宇宙人にメッセージ送ったり音楽を作曲したり数学の方程式を書くのも言語……かもしれんですが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、この講座なりの限度を設けましょう。{以下、壁いっぱいのホワイトボードに列挙する。}
1)言語には、文法(=法則)がある
2)言語には、語彙(=ボキャブラリー)がある
3)言語には、使用者がいて、使用者の文化がついてまわる
……ほんとはもうちょっと厳密な言い回しや細かい要件があるんですが、いまのところはこんな感じで。言語学入門じゃないんですから。あくまでも架空言語入門です。
以上、いわゆる「ふつうの」言語……自然言語といわれるものは、こうした条件をクリアしております。日本語も英語もスワヒリ語もそうです。では架空言語はどこがどう違うかというと、
4)上記1)〜3)は、創っても良い
……のですね、これが。しかもたいていの場合は、ひとりの人間が。
えー、すでにお気づきの方も何人かいらっしゃるみたいですね。そうです、最初の3条件というのは、すべて、「たくさんの人間が何世代にもわたって、だんだんと、もしくは時々大きな改変を加えながら」決めていったことなのです。これに対して架空言語というのは、そういうことをパパッと一人で、あるいは数人で、ひどく短期間にやってしまってもいいんだよ、ということなのですね。この両者の違いを、かの有名なトールキン翁は、「自然言語というものは、世代を越えた大勢の料理人が次々と手を加えてきたせいで、どうしても味に統一感がないのがよろしくない」みたいに表現しております。つまり、架空言語は一人で創るのでその言語のイメージを明確にしやすいんですね。よく言われるのが、フランス語は芸術っぽいとか、英語は論理的とか、日本語は情緒的に出来てる……という話がありまして、実際にはそんなことはないんですが、英語でも情緒たっぷりの意味不明な韻文も表現できますし。でも架空言語では、実際にそういう「〜な印象を与える言語」というのを設計できるんです。なにしろ料理人が一人ですから。トールキン翁について分からない人は、あとで図書館かインターネットで調べてください。『指輪物語』を書いた人です。日本ではファンタジー文学の大家として主に知られていますが、彼はれっきとした古英語学の泰斗でして、そっち方面でも多大な業績を残してますし、架空言語学にとってはもう神さまみたいな人です。いってみれば近代架空言語学とでもいうべきものを独力で創ってしまった(しかもそうとは知らずに)人ですから。まあ、そのへんはおいおい。
さて架空言語は「ひとりで創れる/創っても良い」言語なのですが、ではどうして言語なんぞを創りたがるのか。いったい何の役に立つのか。架空言語を創るのが趣味です、というとすぐにこういう質問がとんできます。ひどいのになると、実在する言語を勉強したほうが役に立つんじゃないですか、とかね。これに対して僕はこう答えることにしています……「しかし囲碁や将棋やチェスを好む人たちに対して、『どうしてあなたは本当の戦争に参加しないんですか』とは訊ねないでしょう?」
そう。なんで言語を創るのか。なんで実在するもので満足せずに、わざわざ空想上のルールをでっちあげ、四苦八苦して時間をつぶすのか。「それが面白い」からです。もそっと正確にいうと、「そういう複雑な知的ゲームを面白いと思えてしまう一群の人々が、たしかに存在する」のです。この比喩をもうちょっと広げますと……{以下、ホワイトボードに書く。}
『知的ゲーム』 『の元になった現実の事象』
架空言語 自然言語
囲碁、将棋、チェス 戦争(陣取り合戦)
プラモデル 乗り物や機械など
短歌、俳句 情景、出来事、発話
小説、映画、演劇 事件
数学 自然界の出来事
作曲 演奏、歌唱、自然の音
……などなど。多少、比喩に強引なところもありますが、まあそれはそれとして。この点についてもトールキン翁はうまいことを言っておりまして、「たとえば自分は子供の頃からいろんな言語を好んで学んでいたが、やがて実在しない言語を創りたくなった。これはまったく妥当な衝動で、いってみれば幼い頃から音楽演奏の練習ばかりしていた子供が、そのうち作曲をしてみたくなるのと同じである」てなことを書いてました。正確な引用ではないですが、大意はそんなところです。まあ、そこまで言語マニアでなくっても、「自分なりになんかつくってみたい」と思うのは、しごく当たり前のことだと僕なんか思いますね。ほら、架空の鉄道ダイヤをつくったりするのとか、架空戦記で日本を勝たせたりとか、はたまた架空の人間のドラマに関して毎週テレビにかじりついたりとか……僕なんかに言わせれば、連ドラを観てる人たちの心理のほうがよっぽど不思議ですよ、架空言語設計家の心理よりは。さっきの言い回しじゃないですけど「どうして架空の恋愛沙汰に夢中なんですか? どうして実際の恋愛やら不倫やらをやらないんですか?」と皮肉を込めて訊きたくなります……が、まあ返ってくる答は予想がつくので訊きませんが。
えー話を元に戻して。そういうわけで架空言語というのは、言語が好きで、そんでもってそれを創るのも面白いなあという人たちの趣味というか芸術の一形態なのです。僕としては、演奏に対する作曲という側面よりも、むしろ会話に対して俳句がやっていることを、もしくは戦争に対してチェスがやっていることを、言語そのものに対してやっている……と考えるのが好きです。これは僕がチェス好きでもあるせいなんですが。架空言語を創るときに、絶対に揺るがせにできない点、すなわち「法則を内に秘めていなくてはいけない」という点が、チェスや俳句のルールに似ているなあと思うので。まあ、西洋音楽も厳しい規則はあるんですが、僕は音楽のほうは素人なもんで。それに多分、世間的には作曲したことある人よりもチェスや俳句をたしなむ人のほうが多いでしょうから。
え? なるほど。まあ確かに言語を丸ごと一個創るのは、チェスの試合や俳句の一ひねりよりはず〜〜〜っと長い時間がかかりますね。事実、トールキン翁でさえ、十代後半から架空言語・クェンヤを創り始めて、八十過ぎで亡くなるまでそれを創り続けたんですがとうとう完成しなかったですから。{会場からどよめき。}いや、べつに驚くこっちゃないです……というか……そうですね、これもさっきのに付け加えましょう:
5)上記4)は「完成」させなくても良い
……つまりですね。自然言語を考えればわかると思うんですが、たとえば日本語というのは「完成されている」んでしょうか? 毎日どっかで新しい単語が生まれてますよね。文法や発音も、ちょっとづつ変わってるし。「てゆーか」とか「僕的には」とか、ら抜き言葉とか昔はなかったでしょ。
そんなわけで、架空言語も「使い勝手が良い」ところまで創り込むことはできるんですが、「完成」させるなんてことはそもそも無理であります。というか、無意味です。有害といってもよろしい。それはちょうど、チェスのあらゆる手筋を憶えてしまうようなもんで、面白くないことなのです。創ってるあいだが一番愉しい、というのも架空言語の特徴の一つというわけですね。文化祭の準備みたいなもんでしょうか。ちょっと違うかな。
ともかく架空言語とはそういうものなのですが……もちろん実用的な効能、というか副産物が無いわけではありません。こちらのアンケートにも書いていただいたものがあるのですが、まずは、小説やマンガの設定として架空言語があると便利という場合。それっぽい言語をつくっておくと世界観に広がりが出ます。最近話題になったところでは、『星界の紋章』のアーヴ語なんてのがありますね。この言語についてはあとでまた触れましょう。他にはどんな効能があると思いますか?……そうですね、先ほども言いましたが、一種の頭の体操、思考ゲームとして有用です。複雑な道具も準備も何もいりません。自分で決めた文法というルールに従って、単語を創ったり、思いついた単語がどういう意味なのかを類推したり……ただ紙と鉛筆と、いや、ヘタをしたらそれすらも要らないかも。実際、僕もいくつか言語を創ってますが、旅先でふと時間が余った時に頭の中で「うーむあの単語をもうちょっとかっこよくできないかなあ……対格を接頭辞で表示したほうがいいかもしれないなあ……」などとボンヤリ考えたりしたこともあります。対格とか接頭辞とかは、まあ言語学の専門用語なので、今は別に知らなくても良いです。あとで辞書か何かで調べてください。要は、これもチェスや俳句と同じように、頭の中だけで問題を創って解くことのできるゲームになりうるのです。……そのへんを実感してもらうために、あとで宿題を出しますんで挑戦してみてください。{宿題、という言葉に会場の一部がざわつく。}
他にも架空の言語の使い道はあります。たとえば誕生日の贈り物にするとかですね。相手の名前……まあ仮に田中花子さんとでもしましょうか……そのタナカ・ハナコという音が、じつは架空言語においては「花のように美しい貴女」という意味である、という風に文法を後づけで決めることだってできちゃうわけです。架空言語の文法は、創り手であるあなたが自在に決めていいわけですから。(まあ、もちろん、人間の言語として絶対にありえないような状況を避けるための、最低限の共通規則みたいなものはありますが……そのへんはおいおいやっていきましょう。}
他にも、人文系の教育の補助手段として非常に有効であると僕は思っております。というのも、架空の言語をそれっぽく創るためには、やっぱり現実の言語の法則やら文化やら歴史やらを知らなくてはそれっぽいものは創れないわけで……マンガやアニメでキャラクタを描くにも、やっぱり最低限、関節の曲がり方とか立った時の重心の位置とか服の皺の寄りかたとかを知らないと「上手い」絵にはならないのと一緒ですね。だもんで自然に、架空のことを創ろうとすると現実の世界をいろいろと勉強することになるわけです。たとえば学校の授業で架空言語を創らせて、「闇」という意味の単語を創って、それが「夜」という単語と語源的に関係がある……と設定したとしましょう。とすると、「日本語では夜と闇の関係はどうなってるんだろう? 英語では? 中国語では? ほんとに夜と闇を関連づけちゃっていいんだろうか?」という疑問へ生徒たちを導くことができます。ちょっとやってみましょうか。現代日本語の「夜yoru/yo」……または「夜ya」……もとは古代中国語からの移入ですが……当時はiyakと発音したそうです。じつはこれ、「昔syak」と語源が同じだそうで。「昔シャク/セキ」は今の感覚では「むかし」の意味ですけど、当時は「昨日の夕べ、昨夕」を意味してたらしいです。ちなみに「夜」という漢字も、昔は「ゆふべ」と読んでました。その「夕」も古代中国ではzyak、夕暮れの潮も「汐」zyakと言います。で、いっぽうの「闇」ですがこっちはam。「暗am」と元は同じです。「陰」iemも近い意味で、ぜんぶ「閉じている(ので暗い)」ことをあらわします。「暗」は「クラ(い)」とも読みますが、これは「クレ=暮れ」「クロ(い)=黒い」と関係ありそうですね。余談ですが、クロは古い日本語ではカラだったらしく、現代語でもカラスと言いますが、あれの意味は「黒い鳥」ってそのまんまなんだそうです。語尾の「ス」=「鳥」ですね。他にこの語尾を使っている例、思いつきますか? どなたか?……はいそうです。「カケス」「ホトトギス」そうですね。あと「ウグイス」ってのもあります。
話は戻って、英語で「夜」と「闇」はnightとdarknessですが、nightは遡ればniht、ドイツ語でnicht、またラテン語のnoxやnoctisとも関係し、サンスクリット語ではnakta。こうしてみると、いろんな言語が親戚関係にあることが理解できます。言語が親戚ということは、それを使っていた人たちもまた親戚だったと考えるのが妥当でして……そこから民族学・人類学の話にも発展します。ちなみにこのラテン語とサンスクリット語の類似がきっかけとなって、比較言語学や語源学という学問が生まれ、さらには世界中のいろんな言語の親にあたる言語=「祖語」への探求が始まったりもしたのですが、それはまた次の機会に。いっぽうdarknessの-nessは名詞化するための接尾辞で、darkは古くはdeork、アイルランド語のdorchと元は一緒です。ちなみにdorchは「黒い、夕闇の」といった意味らしく、英語の「夕暮れdusk」(古くはdeosc)にも「黒い」という意味が残ってます。このへん、洋の東西を問わず「夜=夕暮れ=黒い」の関連が見えます。
という風に、ちょっとした単語を創ろうとしただけで、それぞれの言葉を使っている人たちが世界をどんなふうに観ていたのか、どんな現象同士に関連があると思っていたのか、どんな歴史的なかかわりがあるのか……という問題に踏み込むことになります。これをきっかけとすれば、語学はもちろん、歴史、社会、生物、天文、あらゆる学問へ入っていけるわけですね。いっそ一年かけて学校で生徒たちに架空言語を創らせたほうが、下手な授業を聞かせているより勉強になるかもしれません。
しかしまあ、そういう「有用性」なんてのは余録みたいなもんで……将棋をやると記憶力がよくなる、みたいな話ですから、適当に聞き流してください。架空言語はあくまでも趣味であり、また芸術の一分野なので、「愉しいと思ったらやる」くらいでいいんです。もちろん、できるだけたくさんの人がこれを「愉しいなあ」と思ってくれることを期待してるわけですが、僕としては。
以上がまあ、架空言語の定義と効用です。くりかえしますと架空言語というのは、「言語というものは創っても良いのだ、という前提にたって、言語を創ってしまうこと……ただし創り終える必要はない」ものです。どんな言語をどんな目的で創るのかは、みなさんの趣味次第です。
では、もうちょっと踏み込んで、世の中にはどんな架空言語があるのか、はたしてどこまでを架空言語と呼んでいいのか……というあたりを考えていきましょう。まず、そもそも「架空言語」という表現は正しいのか……という問題。先日もインターネットで検索してみたんですが、この単語でひっかかるのは、僕の公認ファンクラブ『散歩男爵』のページがズラズラ並ぶ他は、ほんとに数えるくらいしかありません。アーヴ語のサイトとか、パンツァー語とかぐらいで……それ以外はたまたま「架空」と「言語」が一緒に出てくるページとか、ロックミュージシャンで架空の言語の歌詞を創ったという話題とか。それどころか架空言語のページを趣味でアップしてる人すら居ないんです。なんてこったい。いや、ほんと。どなたか見つけたらぜひ御一報ください。
これが海外、というか英語圏だと事情が逆の意味で困難で、こっちではいろんな表現があるんです、架空言語に対して。ちょっと並べてみましょう……{ホワイトボードに列挙する。}
conlang (constructed language)
imaginary language
model language
artificial language
planned language
artistic language
fictional language
international auxiliary language
上から順に、
「構築(された)言語(=創られた言語)」
「空想言語」
「模型言語」
「人工言語」
「計画(された)言語」
「芸術的言語」
「想像上の(フィクションのための)言語」
「国際(人工)補助言語」
てな感じですかね。
それぞれのニュアンスを言いますと、上の三つがおおよそ「趣味または架空世界の設定の一部として創られた言語」にあたります。模型言語、というのは模型飛行機づくりになぞらえた言い方です。人工言語や計画言語は、「実用的な目的のために創られた言語」も含みます……というかそっちが主みたいです。エスペラントとかを指します。芸術的言語は「主に美しさに重点を置いて創られた架空言語」ですが、文法とか語彙といったルールを無視して綺麗な音だけを並べた想像上の文章なんかも含めるみたいです。想像上の言語……fictional
languageというのは、「架空世界の設定の一部として創られたもの、商業的なものを含む」というニュアンスが強い。最後の国際補助言語は、先ほども言いましたエスペラントとその仲間たちをあらわすための専門用語です。auxlangとも略称します。国家間民族間の争いを無くしたり、国際交流を深めたりするための道具として全人類共通語を創ろう……というところから始まったものですが、最近では「世界中のみんなが簡単に使える第二言語」として普及させようという動きが強いみたいです。まあ、事実上は英語がその役割を担ってるんですが、文化的なバイアスが大きいので、中立的な(つまり文化背景のできるだけ薄い=人工的な)言語のほうがいいのだ、という意見ですね。これには僕は異論があるのですがまあそれは次回以降ってことで。
僕の使う「架空言語」に近いのは「空想言語」かと思うんですが。とにかく架空言語のデザインが盛んなので、用語がかえって確定してないです。いちばんポピュラーなのは最上段のconlangですが、「創られた言語」というのも意訳でして。「被構築言語」が正確な直訳かな。たぶん訳語も一定してないでしょう、というか、これを日本語に翻訳したのってこの講座が初じゃないのかな。とにかく英語圏では信じられないくらいたくさんの架空言語がネットにアップされてるので、こういうことになります。
まあ、とりあえず今後はimaginary languageの訳語として「架空言語」を使いたいと思います。したがって広義には、「架空言語=自然言語ではない、創られた言語」一般を指します。狭義には、「架空言語=趣味または架空世界設定のために一人または少人数によって創られた言語、文法と語彙と背景文化や歴史を有するが、完成する必要はない」です。これを中心に、いろいろな「創られた言語」をもういっぺん分類し直してみましょう。ちなみに英語圏ではこの分類方法でさえ幾種類かあるのですが、そこまで紹介してても面倒なだけなので……{ホワイトボードに列挙。}
1)実用性・中立性を重んじる:
人工言語、国際補助言語など
2)架空の歴史を創って、そこで用いられる言語を創る:
ローマが滅びなかった西洋の英語や、新大陸の住人がムー大陸に移住して使った言語、など
狭義の架空言語A
3)別の惑星や異世界で用いられる言語を創る:
3a)奇妙な音の響きを優先させる
アンタレス星人の超音波言語、知性鯨の反響言語、など
3b)人間とは異なる思考体系を構築する
竜族の非常にゆっくりした言語、など
4)自分の趣味にあった言語を創るもの:
狭義の架空言語B
4a)趣味的文法やエキゾチックな文法を創る
4b)自然主義的(一見自然な)言語を創る
4c)できるだけ美しい言語を創る
5)言語というより単語や解読に注目するもの:
シュールな反言語、暗号、異言、天使の言語、異星人から教わったと称する宇宙語など
……と、動機別に分けてみました。しかし実際にはこれら5つの分類よりも遙かに古いタイプが一つあるんですね。しかもその子孫は今でも使われています。それは何かというと……
0)「完全な」言語をめざす:
バベル以前の言語、アダムが用いた言語、神の言語、完全に論理的で誰でも理解できる言語、など
タイプ0の直系の子孫たちとはすなわち……はい、そこの人。そうです、正解です。「数学」「論理学」「百科事典」「図書館分類法」「コンピュータ」などがそれです。御存知の方もいるでしょうが、現在のノイマン型コンピュータの歴史をさかのぼれば、フォン=ノイマンからチューリング、バベッヂを通り過ぎてライプニッツやキルヒャーにまでたどり着きます。この頃には、「完全な言語」=「完全な論理的思考」=「完全な分類方法」=「神の意志の反映である自然界を完全に解読すること」だったわけです。もっとも合理的な文法とは、世界中のあらゆることをきちんと並べて分類することだったんですね。知ること=読むこと、という強迫観念と言っても良い。まあこのへんも余談ですが。架空言語を考える際に、その周辺分野……国際共通語や完全言語、人類祖語の探求、コンピュータや人工知能、図書館分類法、記憶術、図像学などなど……といったあたりも気にしておいたほうが色々と面白いこともありますんで。
余談ついでですが、もう一つ重要な「架空」言語の一群が存在します……いってみれば、「自然な架空言語」というやつでしょうか。
X)その他「境界的な架空言語」
ピヂン、クレオール
近代国家の「標準語」
手話
人工文字による言語の改変や生成(始皇帝の文字改革、則天武后の文字、西夏文字、ハングル、神代文字、点字、文字コード、常用漢字の制定など)
マンガ等の中の「外人しゃべり」「キャラしゃべり」など
人工文字については……アンケートの中でも「人工文字にも着目すべきでは」という意見がありましたが、まさに至言であります。このへん、日本の戦後の国語改革なんかとからめて僕たちにもひどく重要な問題なのですが……うーん、今日は時間がないのでまたいずれの機会に。
ピヂンというのは、いわゆる「通商共通語lingua franca」ですね。異なる文化が接触したときに、最初は主に通商のための道具として発生する言語です。これは数世代、速ければほとんど一世代のあいだに発生します……というか、接触した両者が共同して「それとなく創っていく」んですが、当然ながら現場に立ち会わせた研究者がいないので詳しいところはよくわからんそうです。クレオールというのは、生まれたときからピヂンがまわりにあってそれを母国語として育った世代が出てきたら、ピヂンのことをクレオールと呼ぶんだそうです。って、ものすごい大ざっぱな定義ですが、まあ細かい話をしてくと果てしないので。実際、こうなるともう自然言語の範疇なんですが。またまた余談ですがlingua
francaというのは中世初期ラテン語(だったかな?)の言い回しで「フランク人の言葉」という意味だそうです。つまり当時はヨーロッパの真ん中あたりにいたフランク人たちがあちこちで商売をする時に使ってたチャンポンな言葉が国際共通語だったわけですね。今ではイタリア語やらフランス語やらドイツ語やらに整然と分かれてますが。
あと、ここではいちおう手話を「自然な架空言語」に含めましたが、これも実はいろいろ問題をはらんでいます。生まれたときからの聾者と、途中から聾になった場合とでは言語に対する観念も違うのか、とか……歴史的に近代手話がどのように発生したのか、とか……健常者の教師が創った手話と聾唖者コミュニティーから自然発生した手話との相互影響は、とか……研究もそれほど盛んではないし、僕自身も勉強中です。もちろん手話自身は「言語の代替物」ではなく、それ自体が独立・自立した言語の体系なんですが、ピヂンやクレオールもそういう視点からすれば自然言語に入ってしまうので……まあ、タイプXについては「架空言語学の立場から注目すべき自然言語の代表例」とでも考えてください。
う〜ん、どんどん余談が多くなってますね。ではもっぺん架空言語の分類の話に戻りますと……さっきのは、いろんな架空言語の「創られ方」から見たものでした。ので、今度は「創りたいなあ」と思ってる方のための分類を書いてみましょう。{ホワイトボードに分岐図を書く。}
「言語は創っても良い/悪い/国家のためなら良い/自分の妄想を支える手段としてなら良い」
→順に(広義の)架空言語、自然言語、近代国語、異言
「どうせ架空言語を創るなら趣味にあったものを/実用的なものを/完全なものを/諧謔と皮肉をまぶしてワケのわからんものを」
→順に(狭義の)架空言語、国際補助言語、完全言語、芸術的反言語
「趣味の架空言語を創るなら、その過程も楽しもう/完成に近づくのが目的/とにかくたくさんの架空言語を創ろう」
→順にT(Tolkien)型、
P(Perfectionist)型、
M(Maniac)型
「T型でやるなら、文法の妙を楽しもう/語彙・語源・歴史的な変化を楽しもう/実際に文章や詩などの『作品』を創って楽しもう」
→順にTg型、Te型、Tp型
「Te型としても、言語が主で歴史文化は従/歴史文化が主で言語は手段」
→順にTe(1)型、Te(2)型
……と。すでにおわかりの方もいらっしゃるでしょうが、このTe(1)型というのが、さっきよりもさらに狭義の、僕が本当の「架空言語」と思う理想型ですね。トールキン翁がめざしたのもこれです。僕はトールキン原理主義者なので、どうしてもこうなってしまうんですが。(さらに厳密に言うと若い頃のトールキンはTp型だったのが、後年にはだんだんTe型に変わっていったのでは……というのが僕の説です。)今回の講座ではこれを中心にお話してゆきます。
この分類法でいくと、先ほど言いましたアーヴ語は……Pp型に該当するのかな? 小説で使用するためには一定の完成度というか不動性みたいなものが要求されるので。あるいは先にあげたfictional
languageのほうがすっきりするかも。アーヴ語のサイトもいくつかネットにありまして、それらを見た限りでは、あの言語の特徴は、
・複雑な音韻変化によって古代日本語の語彙を
そのまま活用できるようにしてある
・文法や歴史的な変化はあまり重視していない
……という、業界用語で言うところの「命名言語naming language」に非常に近い。命名言語は、さっきのmodel
languageという呼び方を提唱しているJeffrey Henningという人が(たぶん)最初に言い出したもので、要は「言語の体系を丸ごと創るのは面倒なので、ファンタジーやSFの人名や地名だけをパパパッと創るだけの簡易架空言語ってのがあってもいいんじゃないの?」ということです。たとえば映画のセットとか、作曲でいえば短いエチュード、はたまた詰め将棋みたいなものだと思ってください。もちろんアーヴ語にはちゃんとした文法があるとのことですが、歴史的変遷や語彙のニュアンスに興味があるというよりは作品中での実用性が第一目的のようですね。実際、作品中でもアーヴ語はある種の人工言語だとされていますし。
それで……あら、もうこんな時間だ。えーとすみません、続きは次回ということで。今回は架空言語の定義と分類をやりましたんで、これでようやく本題に入れるんですが、じゃあ次回は実際に架空言語を創るためのテクニックや注意点についてお話したいと思います。とくに命名言語は簡単につくれるので、なんならこの講座で一つ二つひねってみましょうか。そのあとは、実在の言語……とくに日本語と架空言語の深〜い関係について話す予定です。それでは。
{拍手と共に退場。}
◆架空言語入門・宿題(注:とくに正解はありませんので気軽に挑戦してみてください)◆
1)以下の二つの文は、それぞれ異なる架空言語の文です。これを日本語に(強引に)翻訳してみましょう。また、こうした言語を使う人々の文化や歴史を想像してみましょう:
・ar, mer-nicthof!
・sara eluwa ma uyuke pe kuwawa
sara satere.
2)以下の文は『天空の城ラピュタ』に登場した古代ラピュタ語です。この文から、古代ラピュタ語の文法について想像できることを書きましょう:
・リテ・ラトバリタ・ウルス「われを助けよ」
・アリアロス・バル・ネトリール「光よ、甦れ」
・トゥエル「真、まこと」
・ウル「王」
・トゥエル・ウル・ラピュタ「ラピュタの真の王」
・バルス!(滅びを意味する、または命じる単語)
3)「さくら」という単語について、架空の意味・漢字表記・語源・歴史をでっちあげてみましょう。
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