←第一回
1)架空言語の強引翻訳
・ar, mer-nicthof!
……「ああ、そんなことだったのか!」
……「お達者で!(直訳:ああ、どうか酒の神さまのご加護がありますように!)」
……「ああ、この馬鹿野郎!」。逐語訳すると「ああ・大いなる・愚か者」。
……「さあ、泣かないで!」。merが否定をあらわす助詞。
……「私は大いなる船乗りだ!」。短い音節が船乗りの言葉を連想させた。
……「ああ、太陽は未だ照らさず!」。thofがロシアやエジプトを、nicが否定形を想像させる。
……「あらあら、ニコフ坊ちゃんたら!」。merは「息子」。cthのtは発音しない。ロシアや北欧のイメージあり。
……「ああ、しまった/なんということだ/やってしまった」。短いので定型的な表現。ドイツ語風。
・sara eluwa ma uyuke pe kuwawa
sara satere.
……「エルフ様がお困りですので助けてください、サテラ様」。saraは「様」のような気がした。maとpeは「〜が」「〜ので」のような使用法が頭に浮かんだ。
……「大器は手塩にかけて育てるものである」ということわざ。
……「虚偽が取り払われると真実が現れる」。逐語訳すると「一つの・真実・が・生まれる(現れる)・と・取り去る(死ぬ)・一つの・虚偽」
……「サラはなべにウユケをいれ、ふたをとじた」。uyukeは薬草か何からしい。逐語訳「サラ・〜を入れる・その(定冠詞)・ウユケ・〜に・なべ・サラ・ふたをとじる」。
……「女神はクワワを星海に導くことを許した」。母音の頻出が特徴。母音は3種類のみか。sateraは星を連想。
……「きれいなお嬢さんがきれいなおべべを着て踊っているよ」。逐語訳は「きれいな・お嬢さん・が・踊る・〜しながら・着る・きれいな・衣服」。バナナやヤシやらに囲まれた密林に住む人々を連想。
……「サラは鋭い目、きりりと引いた矢を、サラの敵に向けた」または「手が細く髪がたわわなサラの姿はサラを魅力的に見せた」。kuwawaは「たわわ」を連想させる。
なるほどなるほど。いやあ、実に多彩な翻訳が出てきてますな。
ちなみにこれら二つの言語の文化については、当然と言うべきか、前者については「寒い地方の言語」「厳しい文化を持っている」、後者は「暖かい場所、南洋」「のんびりした文化」という印象が多く見られました。なんでかというと……実は僕が問題出したときに、「そういう印象を与えるような書き方」をしたからなんですね。でもこんなに綺麗な……というか狙い通りの印象を与えられたんだなぁと改めて驚いております。
どういうトリックか、説明しましょう。ってなんだか名探偵みたいだな。
一つ目の文は、音節が子音で終わったり、子音が連続したりして、非常に「響きの重たい」感じに作ってあります。普通、こういう言語は、僕たちの知識の範囲だと、ヨーロッパの言語に多い……と感じるんです。日本語ときわだって違う点だから、なんでしょうね。日本語には普通、子音で終わる音節はないものですから。
対して、二つ目の文は逆に音節は母音で終わっています。しかも母音の種類が極端に少ない。よくよく見ると、子音の種類も多くありません。気がつきますか?……そう、日本語で言う「濁った音」、濁点がつく子音が一つも入ってないんです。pは破裂音で日本語だったら右上にマルが付きますが、音韻学的にはこれは「澄んだ音」に分類されます。こういう音の響きをもっているのは、現実世界ではポリネシア諸語など、太平洋の島々に多くみられます。ハワイの地名を地図でご覧いただければ分かると思いますが……マウナケアとかワイキキとか……ハワイ語ではたしか、外来語のt音が全部kになるんじゃなかったかな? とにかく、知らず知らずのうちに、僕たちは「こういう音の響きはこういう土地柄や文化」という知識を体得しているわけです。
これは、架空言語の作成にとって非常に重要なファクターなのです。
つまり、僕らが架空言語を創るときに、
・drongpbikkchgerghz
……なんていう単語を創って、これの意味が「清らかな小川」ですよ、と言い張るぶんにはかまいませんが、しかし大抵の人は、「そうかなあ?」と何となく首を傾げてしまうでしょう、ということです。
もちろん言語の恣意性というものがありまして、現実の言語、自然言語であれば、drongpbikkchgerghz=「清らかな小川」となるような場合もあるはずです。意味と音は、どのようにペアを組ませても実用面では問題ないわけですから。実際、太平洋にはエロマンガ島という日本人からすれば笑いを堪えきれない地名もありますし。……余談になりますが、僕自身は、なぜか朝鮮焼き肉料理の品目を見ると南の島の架空の怪獣を連想してしまうんですけど……ビビンバとかクッパとかユッケとか。「ビビンバ!」なんて、怪獣を呼び出す魔法の呪文みたいに思えてしょうがない。まあ、それはどうでもいいことなんですが。
ともかく自然言語には恣意性の原則があります。が、架空言語ではそうはいかない……というか、「恣意性からの自由」こそが架空言語の醍醐味の一つなんです。美しい意味の単語は、音の響きも美しく「できる」んです。内容と音の審美学的一致……とでもいいましょうか。
わかりやすく言うと、小説の登場人物で「速水明日香」という名前の付いた不細工な中年ヤクザが出てきたら、「おいおい」とツッコミたくなる、ということですね。でも実社会ではいるかもしれないし、いても文句いえないわけですよ、中年ヤクザの速水明日香氏に対しては。つまりそれが、現実(=自然言語)とフィクション(=架空言語)の最大の違いなんです。架空言語は創られている……ゆえに、きちんと細部まで印象を一貫して操作決定できるし、されていると鑑賞者は期待するわけです。
トールキン翁も、この技法を見事に駆使しています。たとえば彼の創ったエルフの一族、ノルドールNoldor。語源は、*ngoldo-と設定されています。意味は「知識のある、賢い」。これが見事なのは、ある程度西洋の言語に通じた者であれば、すぐにギリシャ語などに共通の語幹gnos-「隠された、隠れた知識の」を連想できるからです。グノーシスGnosis主義とか、小人のノームgnomeと共通の語源ですね。実際、トールキンの遺稿集を調べてみると、ノルドール族は初期の(つまり1920年代に彼が書いた)叙事詩では、Gnomeと呼ばれておりました。たぶんトールキンはそこから発展させてノルドールという固有名詞にたどりついたのだと思います。彼の審美観の内では、gn>ngという響きは、「知識」という意味と切っても切り離せない関係になっていたんでしょう。
というわけで、また一つ架空言語を定義する方法が増えたわけです……狭義の架空言語とは「言葉の響きの印象impressionをあやつる芸術分野である」。
それから、後者の南洋っぽい文については面白い指摘が来てました。えー、無多口{むたぐち}さんのレポートから……「この言語の特徴は日本語と同様の、母音で終わる音節を持っていることです。ただ、母音が4つしかないので、日本語が母語、あるいは日本語の母語というのは難しそうです。もっとも、iの発音を持たない言語は存在しないはずなので、実際には5母音言語と考えてよいでしょう。音節がそのまま1音となり、促音「っ」や、「ん」音も1音となる日本語独特の発音と類似するようなら、音韻体系は日本語、文法は英語のそれのような語順規制の強い言語となり、どこか、東南アジアかインドでの、日本語と英語のピジンかもしれません(この場合、近世初期の日本人町が残存した歴史が想定されます)。……」
さっそく前回ご紹介したピジンの概念を応用してますね。見事です。4母音、というのはyも母音に数えたということでしょうか。
たしかにiの音は非常に基本的なので、無いのは不自然かも……もしかしたらこの言語ではeとiを区別してないのかもしれませんね、発音上。こういうのは自然言語でもよくあります。日本語のrとlを区別しないとかね。欧米人がじっくり聴けば、日本人はrとlをチャンポンにして使ってると判断するでしょう……どちらか一つを使ってるのではなくて。この設定、ちょっと面白いので今後はこれでいきましょう。この南洋風の言語は、日本語と欧州の言語のピジンで、東南アジアのどかで使われていたと。ちなみに訳文は……そうだな、「虚偽が取り払われると真実が現れる」を採用としましょうか。逐語訳は「一つの・真実・が・生まれる(現れる)・〜によって・取り去る(死ぬ)・一つの・虚偽」……てな感じかな。後ろ半分を条件節にしてるわけですね。おっと、そろそろ時間が。次の問題にいきましょう。
2)以下の文は『天空の城ラピュタ』に登場した古代ラピュタ語です。この文から、古代ラピュタ語の文法について想像できることを書きましょう:
雪村……ウルが「王」で、「ウルス」が「王でない者=我」では。同様にバルとバルスも。単語の後ろに修飾語が付く形式か。
大江戸……名詞が形容詞になるとき、特に語形は変わらない。形容詞は名詞の直前に、名詞が他の名詞を修飾する場合は直後に付く。バルスと、バルやラトバリタは、対義的ではあるが存在の有無に関連する単語か。
無多口……「われを助けよ」は厳密には「王(であるわれ)を助けよ」と訳すべきか。リテは王専用の単語で命令形の最上位型。浮遊都市国家ラピュタは国土が限られていたので権威を土地面積で表現できず、かえって地位や身分を厳格にする言語表現が発達したのでは。
夜行屋……命令形の語順は「活用を意味する冠詞・動詞・目的語」。単語の活用は省略されているか冠詞であらわす。動詞や名詞の否定形「ス」を付けると逆の意味になる。
天草……助詞や語尾変化はない。語順は英語的。ウルスはウルから派生した一人称か。バルスもバルの派生。バル・ネトリールがまとめて「黄泉・帰れ」=「甦れ」の意。もしくはバル=「光、滅びの光」か。
古川……ラ行の音が多い(ちなみに魔女っ子ものの呪文にも同じ現象が起きている)。単語はほぼ日本語と一対一で対応。スを語尾に付けると意味が一般化するのか。
いずれも見事な指摘ですね。ラ行が多い(僕はこれをラ行問題と名付けていたのですが)のは、日本のファンタジー全般にいえる点です。これはおそらく、欧米圏の言語と日本語の最大の相違点の一つ……先ほども言いましたrとlの区別の有無……を、日本人が意識した結果だと思います。つまり日本人からみると、「西洋風な音の響き」とはすなわち「ラ行が多い(なぜならrとlの二つの音であるにもかかわらず、日本人にはそれが区別できないから、二倍あるように思える)こと」なんですね。無多口さんの分析は、言語から社会構造や環境にまで踏み込んでいて秀逸の一言。天草さんのネトリールをバルに繰り込んでしまう読み方も美しい。
というわけで、この分析は次回も宿題として続けましょう。ここではいったん、
・ウル=王、ただし王族が一人称として用いる
こともできる
・ス =語尾に付いて、目的語をあらわす
または呼びかけや命令などもあらわす
(日本語の「〜こそ」「〜ぞ」に似る)
・バル=光
・ネトリール=戻る、帰る、復帰する
……と決めてしまいましょう。さて、残りの単語をどう翻訳する?
3)「さくら」という単語について、架空の意味・漢字表記・語源・歴史をでっちあげてみましょう。
・咲裸……「桜が咲くと花見を開き、そこで裸になって騒ぐことからこのような字が当てられた」
・さくら(木扁に乱)……「死にものぐるいで走り回る」
・裂く裸……「美しい花を咲かせるために生贄を捧げた古代の風習より」。
・さくら……「な咲きそ、の変化形。な咲きそ>咲くな>意味が転化して、咲く花>さく>断定語尾が付いて、さくら」。
これも色々と面白いですな。とはいえ他の問題よりはやっぱり回答率が低かったりして……難しかったかな? 架空言語にとっての俳句みたいなもんだと思ってください。今後も時々やってみましょう。ちなみに僕が思いついたのは、
・差蔭【さくら】(名詞)……主に関東管領諸国で、午睡花が満開の様子。また転じてその花。満開時には樹下に深い影が差すことから。西国では「後れ梅」とも。→動詞「さくらむ」「さくらばる」。
……というようなネタでした。つまりこの言葉が成立している世界では、日本はたぶん戦国以降統一政権ができなかったんですな、きっと。でもって日本列島の東西でだんだん言葉が変わってきてしまったと。まあ、架空言語ではこんなことも表現できる、という実例であります。
では、今回の宿題:
1)前回の宿題に出た「北方風の言語」の文を、「南洋風のピジン言語」にみえるように書き直してみよう。
例:ar, mer-nicthof!>ara, mere nuyekusop!
また、逆に「南洋風ピジン」の文を「北方風の言語」に書き直してみよう。「南洋風ピジン」の意味が「一つの・真実・が・生まれる(現れる)・〜によって・取り去る(死ぬ)・一つの・虚偽」だとすると、南洋ピジン風に書き改めたar,
mer-nicthof!の意味は何であるか、あらためて考えてみよう。
2)ラピュタ語の分析を、さらにやってみよう。
それではまた次回。{拍手の中、退場。}