『散歩男爵』トップに戻る★柳川/新城先生のありがたいお言葉の解説(解説文責……:散歩男爵 :散歩執事)
1999年世紀末のお言葉 2001年のお言葉
2001年12月:「不義理しております、すみません>皆様」
という一言を、翌月になってから言うあたりが
まったくもうどうしようもない不義理ストな新城
なのですが。
年賀状はもちろん、電子年賀状も出せず、まったく
もうしわけありません>皆様。
とりあえず今は各種原稿にハマっております。『浪漫探偵』2巻と『星の、バベル』上巻が
ちゃんと出たのが、せめてもの慰めか……
2001年11月:「ルシアンじゃなくて、ルーシエンちゃうん?」
えー、これは何かと申しますと、かのトールキン翁の
『指輪物語』『シルマリルリオン』(の翻訳)について
昔から疑問に思ってることでして。もうじき映画公開
だし、というわけで。
架空言語に興味のない方にはまったく理解できない話
ですいません。ともかく、トールキンの中つ国神話において、重要な
人物であるLu_thien Tinu_vielというエルフの姫君が
おります。ちなみにこの「_」は本当は母音の上にくる
長音記号なんですが、まあそれはさておき……これが
日本語訳では「ルシアン・ティヌゥヴィエル」になってる
わけです。で、新城の疑問というのは、
1)シンダァル語の「e」は確かに「英語のwereの如く
発音すべし」とト翁自身が指定しているが、しかし
それなら後半の「ie」も「ティヌゥヴィアル」と
表記して統一するべきなのでは?
(注……もちろん最近の海外の研究では、Lu_thienの母語は
厳密にはシンダァル語ではなくて、ドリアスの森で
用いられたDoriathrinだろうということになっとるので
すが、しかしDoriathrinもシンダァル語族の仲間ですから
母音の発音は近いと推測できます)
2)wereの「e」は確かにエというよりはアに近い中間母音
かもしれないけど、他の綴りとの区別を日本語でも
残すためには、むしろ多少強引だけど「エ」を使った
ほうが美しいのでは?
(たとえばCirdanというエルフがおるのですが、これは
日本語では「キアダン」となっていて、ぱっと見ただけ
だと同じに見えるわけです。新城としては、「irは、rを
きちんと発音してくれい」というト翁の希望を厳密に解釈
する原理主義的立場から、むしろ「キルダン」あるいはいっそ
ルを小さく書いて「キルダン」でもいいんじゃないか、とさえ
思ってるわけですが。こうすれば、cir-「船」という意味を
共有する他の単語、たとえばcirya等との関連性が日本語の
読者にもより明確になりますし。まあ、この問題は突き詰めると
「日本語でエルフの諸言語は本当に表記可能か?」という
大変な課題にぶつかるので、その話はまた後日……)
3)それより何より、シンダァル語は母音の長短の区別が明確な
言語なのだから、きっちり長音にするべきでは?……つまり、
「ルーシアン・ティヌーヴィアル」
または
「ルーシエン・ティヌーヴィエル」
の、どっちかなんじゃないかしらんという意見なのです、新城は。
長音の「ー」が嫌なら、現行の翻訳に従って「ゥ」でも良いですが。
新城の美的感覚からすると、「ルーシエン」に一票でありますが
……他の(架空言語好きな)皆様の御意見や如何に?
2001年10月:「……で、2年後だか8年後に大臣が発病したら、どうするつもりなの?」
ううう、また時事ネタだあ……。でも、あまりのバカらしさに
仰天したので、記念のために。
もはや詳細は申しあげますまい。まさか東海村の核反応暴走
よりもマ●ケな事象が、しかも映像で観ることができるとは。この際、CJDと狂牛病の関係の微妙さとか、発病率の低さとか、
牛肉の「風評」被害の問題点とか、監督官庁の不手際について
とか、カイワレダイコンの時だって充分にバカバカしかったとか
そういうことは、全部さておき、としても。
牛肉が「おいしかった」という一事でもって安全性が証明可能で
あると考えている(としか思えない)あの瞬間の大臣以下議員の
皆さんにはもう、どんな言葉を投げかけたらいいのか、僕には
まったく思いつきません。
というわけで引用。「愚かさが相手ならば、神々自身の奮闘さえも空しく終わろう」
・・フリードリヒ・フォン・シラー
「すべてを疑うか、すべてを信じるかは、二つとも都合のよい
解決法である。どちらでも我々は反省しないですむからである」
・・アンリ・ポアンカレ
「無知が故意である場合、それは犯罪だ」
・・サミュエル・ジョンソン
「博識の馬鹿は無知の馬鹿よりも馬鹿」
・・モリエール2001年9月:「1993年9月13日か、それとも2001年9月11日か」
二つの日付のうち、後者は言わずもがなですが、前者を
知っている人は、いったい幾人いるのでしょうか……。以前にも書いたとおり、新城は本来スチャラカなことを愉しむ
スチャラカ小説家であり、ここで真面目な話を書くのは主旨に
反するはずなのですが。今回は多少、個人的な事情もありまして。説明しますと、一つ目の日付は「オスロ合意」が成った日であります。
パレスチナとイスラエル双方の代表が握手をし「とにかく、そうは
いっても、色々あるけど、でも……和平を!」とギリギリの宣言をした
日です。演壇に立ったイツハーク・ラビンが、「もう(殺し合いは)
たくさんだ!」と声を震わせた日なのです。大学時代には(不真面目ながら、いちおう)東洋史の徒であり、
イスラームと西アジアについて多くを学んだ新城にとって、それは
(おそらく当事者の多くにとって不満と批判の対象であるのでしょうが)
ベルリンの壁崩壊の夜と並ぶ「輝かしき歴史の瞬間」でありました。9月11日以降に飛び交い始めたさまざまな言葉……「新しい戦争」
「文明と恐怖との闘争」「目に見える貢献」「果てしなき正義の裁
きInfinite Justice」などなど……については、ここで新城が解説
するまでもないでしょう。Webのあちこちに、厖大な説明と意見が
駆け巡っておりますので、そちらを検索/参照してください。ただ、そうした活発な言葉の底にあるのは、つまるところ、
上記の二つの日付のどちらを我々は選ぶのか(選び得るのか)という
選択なのだ……というのが、現時点での新城の拙い意見です。
93年9月13日か、それとも01年9月11日か。
歯を食いしばっての妥協と対話か。それとも恐怖と憎しみの連鎖か。はっきり言って、自分がどちらを選ぶのか、選べるのか、となると
新城自身にもわかりません。もしもあの倒壊したビルの中に、自分の
肉親が、友人が、愛する人がいたら? あるいはまだ連絡がないだけで、
知人がすでにまきこまれていたとしたら? ……そう想像してみれば、
和平や対話というものが本来は、世間で誤って受けとめられている
ように軟弱や気弱さから発するものでないことは解っていただける
と思います。
あなたは、自分の肉親や友人を殺した(に違いない)者たちに
むかって手をさしのべ、「和平を!」と呼びかけることができる
でしょうか? それとも銃口を向けるでしょうか?
どちらの選択が、より人間的なのでしょうか?それとも、「人間的にふるまう」ことがすでに恐怖や憎しみと
不可分なのでしょうか?……
まったく意味不明のこの一言ですが。今年の8月は
ホントにいろいろなことがあって(靖国騒ぎとか、
JGCとか)、ハテ何を書いたものやらと悩みましたが、
個人的にイチバン大きな出来事は実は表題の通り。
大学時代以来の先輩に、拉致同然に某県某避暑地の別荘へと
連れ去られ……というかホントは自主的にカンヅメになって
きたんですが、「拉致られた」って言うほうが面白いんで(←適当なやつだ)
そういうことにしてます。ふふふ。で、当然カンヅメ状態で小説書いてるので、TVも新聞も無し、
騒音無し、猛暑無し、御近所無し、何も無し。移動手段は
レンタ自転車のみ、食い物はお手製のカレーと近所の本格インド
カレー店。ってカレーばっかしじゃん。周囲には半年前の「SPA!」
とか『和漢朗詠集』とかしか気晴らしに読むものがないという、
すげえ日常。というか非日常。だったのですが、しかし。先輩が避暑地のはずれにある書店で買って
きたとおぽしき一冊、すなわち、『茄子』by黒田硫黄(講談社アフタヌーン・コミックス)【←4倍角でよろしく】
繰り返し読むこと十数回。
私、それで。茄子られちゃったんです。(←宇野鴻一郎風)レンタル自転車で避暑地の坂を「うを〜」と独りでツールごっこしたり。
茄子を買ってきては料理してみたり。
東京に帰ってきてからは、「郊外に引っ越す」だの「フォレスターを
読み直さねば」だの「自転車を整備するぞ」だの「今日はCSでツール・
ド・フランスの再放送が」だの世迷い言が次々と。
嗚呼医大なり、じゃなかった偉大なり黒田硫黄。なんか前にも勧めた
おぼえがあるけど。いいじゃん、かたいこと言わずに。そうかい、それも
そうだな。ほれ、もう一献。おっとこりゃどうも。てけてんてんてん。そんなこんなで、黒田師匠のサイト(公認?公式?濃ゆいファンによる?)
をば発見しましたので、リンクお願いします>散歩執事殿2001年7月:「続々と増える、かきあげ同盟参加者!」
以前にも賛同者を報告したかもしれませんが、その後
ネット上で藤浪智之氏の参加表明を発見。さらにメール
にて、ミステリ作家の鯨統一郎氏からも「新刊のまえがき
に一言書きました」との嬉しい御連絡が。(→新城の
不確かな記憶によれば六月発売のノベルスで、『九つの
殺人メルヘン』だった……と思うんですが、ええと。あとで
本屋行って再確認してきます、すみません。)さらなる御参加を、お待ちしております!>業界の皆様
2001年6月:「極小の歴史家としての新城カズマ〜Sinjow Kazma as a minimal historian〜」
えー、何のことかと言いますと、実は6月に、
亡き祖父母の遺品を整理するために3泊4日で
某県某市へ行ってきたのであります。
とはいえそこは曾祖父の代から住んでいた家
だったので、品物があるわあるわ。家族で手分け
して必死に整理したのですが。……
ふと、
「ああ、こうやって『後の世に残るもの』と
『残らないもの』というのは、区別されて
ゆくのだなあ」
と思ってしまったわけでして。
たとえば曾祖父の遺したあらゆる物のうち、僕が
捨てずにとっておこうと思ったのは、まずは古い
アルバムや写真機や本だったのですが……しかし
当人が本当に残してほしかったのは、もしかしたら
そうしたものとはまったく別の、自作の俳句だったり
恩師から貰った掛け軸だったりするのではないかと
思うと、
「遺品を整理する僕」
というのは、
「何がのこるべきか」
を冷酷に、そして偏った趣味と意見でもって
決定しているわけです。
それは例えて言うならば、非常に些細な……
ちょっと気障っぽく表現するなら『極小の歴史家』に
なったようなもので。とはいえ、たとえば今から数百年経って、どっかの
歴史家が、
「20世紀初頭に生きていた、某県某市の×××と
いう人間の詳細が知りたい!」
と思っても、たまたまその×××氏が僕の曾祖父
だったりしたら、果たして僕はその後世の歴史家が
残しておいてほしいと思うような物品をちゃんと
残しているのかどうか……と問われれば、答は
まったく気弱な、
「……た、たぶん無理なんじゃないかと……
思うんですけど……」
になってしまいまして。ううむ。などという妄想はそのうちに、自分の部屋の乱雑
ぶりを省みて、
「この本、ブックオフに売るべきかなあ……いや、
それともきちんと残しておいて、後世の歴史家の
ための貴重な資料とするべきなのか……むむむ
……!」
と、暑さで頭がやられたとしか思われないような
心配を始めて止まらなくなったりもするのです。
2001年5月:「板垣恵介記念・一億だか1000万だかの賞金はいくら支払われるか当てよう杯!」
巷で噂(かどうかは知りませんが)の、小学館刊「ビッグコミック・
スピリッツ」で募集してる漫画の賞金総額1000万円……だったかな。
ちょっと手元に雑誌がないので不確かですが。
なんでこれが「板垣恵介記念」かというと、少年チャンピオンに
『バキ』を連載してる同氏が、とある号の巻末一行あとがきで、大略
「ちゃんと出してよね、大賞(=佳作とかで安くごまかさないでよね)」
といったことをチラと書いているのを、先日、新城は見てしまいまして。
で、それはたぶん、このことではないかと推測したわけですが。
もしかしたら新潮社の「コミックBUNCH」のほうの総額一億円のこと
だったかも。
違ったらごめんなさい>板垣様で、冒頭の一言。同氏のあとがきに触発された新城は、最近、
まわりの友人たちと一緒になって、
「じゃあこの二つの賞金総額のうち、いくら出るか、
みんなで(競馬みたく)予想しようよ」
などと話しあってるわけです^-^)。
ああ、なんて『The三名様』な日常……。結果を見事的中させた人には……まあ、かきあげ丼の一杯も
奢ろうかな?
ちなみに皆さんはどう思います? 出ると思います?
2001年4月:「『THE3名様』、サイコー!」
……と知人友人に熱弁しては嫌われている昨今です。
面白いとおもうんだけどなあ、あのマンガ。スピリッツ
好評連載中。by石原まこちん。
友人には「ついていけんから、やる」と単行本1巻をタダで譲り受け、
エルスの社員には「新城さんおかしいですってば」と言われる始末。ぐっすし。
しかも気がつけば超極薄単行本はすでに2巻まで発売中。すごいぞ3名様。
新城的には、ベスト名台詞は「あ〜あ、はやく有名になんないかな、俺」
です(ちょっと省略バージョン)。
ちなみに、近年の新城が追いかけているマンガ家といえば:
・イダタツヒコ…………最近は『ゴルディアス』(〜2巻以下続刊、講談社
ヤンマガKC)が案外にイイ
・黒田硫黄………………すべてがオススメ
・入江紀子………………『のら』完全版(全3巻、アスペクト)が特にいい
・小川幸辰………………『エンブリヲ』(全3巻、アフタヌーンKC)を、
ど、どうか、みんな読んでください〜!
原作付きのミステリコミック「桜神父シリーズ」も
よいです
(新城は、2巻目の「最後のヒント」の提示法に腰を
抜かしました……)
・柏屋コッコ……………『柏屋コッコの人生×漫才』(「万才」の「万」が×で
消されてます:全8巻、集英社マーガレットコミックス)
は凄かった……身辺雑記マンガのふりをした脳内麻薬全開
(というか全壊)コミック。須藤真澄とは正反対の意味で。
ただし、マンガを15年以上読んだ方のみ楽しめる壊れかた
なので、若い方はもう少し大人になってから読みましょう。
話は変わりますが、前半あたりにあった老従業員をめぐる
謎の逸話は、日本漫画史上にのこるであろう超絶叙述トリ
ック^-^;;)だと新城は思うのですが……ミステリ好きの
皆さんは如何思われますでしょうか?
・小原槇司…………については【2000年4月の項】も、あわせてご覧ください。
ううむ、偏ってるなあ。
2001年3月:「森喜朗ではなく、日本国内閣総理大臣(という地位)を、
新城カズマは支持します」
ネタ的には2月の一言の続きなんですが。これを書いてる
3月6日現在、3度目(だったっけ)の森内閣不信任案が
否決されて約一日後。世間では「どうやって森を降ろすの」
「後釜は」「とにかく森が悪い」「いやそうでもないぞ」
「もしも辞めないって言ったら?」「景気はどうなるんだ」等、
いろいろ飛び交ってますが。それにしても。こういう場所で無粋な時事ネタはあんましやりたくなかった
んですが、あまりにも目に余る(って何か変な日本語だな)
この事態に、新城はマジで今現在の意見を書いておくことにしました。すなわち、僕は内閣総理大臣という地位を、もしくは職務を、
圧倒的に支持する者である、ということです。
僕は愛国者でもなければニヒリストでもないので、何で自分
みたいなスチャラカ小説家がこんなマジメなことをこんな楽しい
場所で言わねばならんのかまったくもって不本意なのですが、
それにしても、ああた、何ですかあの言いぐさは。「不信任は否決
したけど信任したわけじゃない」って。人を莫迦にするのもいい加減に
してください。ついでに日本語を莫迦にするのもいい加減にしてください。「不信任は否決したけど、信任したわけじゃない」。
世間智にたけた人たちは、
「だって表面上はともかく実際には自民も公明も保守も
森を辞めさせたがってるわけだし」とか、
「なに青いこと言ってんだよ、どうせ政治家なんてそういう
もんだろ」とか、
「結局五人組だか四人組だかが決めてるんでしょ?総理って」とか、
「かといって森が続投してもなあ」とか、
「ホントは裏で話がついてんだろ」とか、
いろいろ言うだろうと思いますが。そして僕の中の「大人の
常識」というヤツも、まったく同じ意見を発するのですが。しかし。問題は「森が続投するか退陣するか」では無い
のだと新城は思います。
というか、ぶっちゃけた話、新城自身、森総理は嫌いだし、
早く辞めて欲しいし、そもそも準備も無しに総理を引き受ける
なよ、伊藤正義を見習えよ、という考えなんですが。
ですが、しかし。
じゃあ、だからといって、
「自分たちが議会で不信任を否決した当の相手&内閣を、
ほんとは辞めて欲しいんだけどその事は言わずにおいて、
みんな納得づくで後になって降ろしにかかる」
ってのは、何ですかこれは。
これってつまり、
「議会は無意味である」
「議会の討論と、投票と、議決は無意味である」
ってことじゃないですか。
「言葉による説得が、この国では意味が持たない」
ってことですか。
そしてそれ以上に、
「たかが一政党にすぎない自民党という団体の事情が、
議会の意志に優先する」
ってことになっちゃうじゃないですか。ええ、そりゃもちろん、
「だって自民党+その他で過半数を制してるわけだし」
という反論があるのは当然だと思いますよ。
でも。
だったら、「正々堂々と、その過半数を制しているところの
議会で内閣を不信任すればいいじゃないですか!」たとえ自民党+その他が衆議院の過半数を維持して
いようと、はたまた自民単独で300議席だか400議席
だか持っていようと、それは、議会における「力」で
あって、それ以上でもそれ以下でもないのですよ。ほんとは。
党大会で森首相を「ダメよ〜ん」と言うのは勝手ですよ。
なんなら総裁を辞めさせたっていい。だけど、首相を辞めさせ
たいなら。総理大臣と内閣をその職から追いたいなら。それは議会でやらなければいかんのです。
もしもそうでないなら、この国の総理大臣は、まったくの
「臨時職」「刺身のつま」「付け足し」であるに過ぎない、
という宣言を、僕たちは次の世代にむかって発することになって
しまうのです。
僕は歴史マニアで、いろいろと過去の王国やら共和国やらの
逸話を読むのが大好きな人間なのですが……そこで幾度も幾度も
繰り返される光景の一つに、「公的な地位にある人間が、やがてはその地位そのものが、
そうではない私的な立場の者たちによって左右されてゆく」というものがあります。
なぜなら公的な地位というものは常に人々の指弾と監視の対象
であるし、それをできるだけ制御しよう……「絶対的な権力は
絶対的に腐敗する」から……というのが文明史の一方の大きな
流れでもあったわけですから。
そして、どの時代、どの土地においても、公的な地位が私的に
横領され、その権威が無意味になっていく時には、必ずその後に
とてつもない不幸が、悲劇が、悲惨と愚行と絶望が待ちかまえて
いるのです。どれほど栄えた国であっても、言葉と行動が食い違い始めたら、
言葉を軽視し、「だって裏ではこうなんでしょ」と黙認し始め
てしまったら……
その国には、絶対に、美しい未来は待っていないのです。
もしもこの傾向が続くのならば……僕は想像力を日々の糧に
している一人の大人として断言しますが……五年以内にどこかの
地方で、そして十年以内にまちがいなくこの国の中央で、公的な
地位がこれ以上ないくらい明白に無意味となり、私(わたくし)
され、夢も希望もなくなるような(もしくはあまりの馬鹿馬鹿しさ
に笑うしかないような)惨劇が出来することでしょう。それはもう
今回の騒ぎなんか較べものにならないような事態が。
ええい、何だってこんなマジメな話をしてるんだ、と
皆さんお思いでしょう。僕だってそう思います^-^)。でもですね、
冷笑と皮肉だけでやり過ごしてはいかん時が、あると思うん
ですよ、新城は。「大人ごころ」だけで肩をすくめちゃいかん
時が。
というわけで。
森内閣の不信任案に反対しながら、今後「森降ろし」に
手を貸すだろう数百人の国会議員の皆さん。僕、新城カズマは、
心から、全力でもって、貴方がたを軽蔑します。また同様に、
不信任案に賛成しながら、頭のどこかで「でも夏の参院選の時
まで森がやっててくれると戦いやすいんだけどな」と思って
しまった議員の皆さんも。
そして、おそらくは「大人の常識」に時々は負けてしまう
だろう未来の自分をも、僕はがんばって軽蔑し続けていきたい
と思っております。
……ええい、それにしても長いな。
2001年2月:「何なんだ2月」
素敵な時事ネタが連続していた今年の2月、
あまりにも色々あったのでどれにしようかと
思っていたら3月になってしまいました〜。というわけで一行ツッコミをたくさん……
どうなってんだ外務省&官房機密費。というか、
予算を例年どおりで通していいのか、議会。
なんで松尾(元)室長は逮捕されてないんだ。
チョコレートって、あんたね>首相。子供じゃ
ないんだから。しかし潜水艦衝突事件はどう考え
ても「危機管理」じゃなくて「外交問題」だろ。
結果的に危機管理(の無さ)が露呈したのは確か
なんだが。あの阿呆仕活動法案はどうなったんだろう。
て、それだけじゃないや。サマータイム法案て、今
どこでどうしてるんだ一体。移動祝祭日は……あれは
一部実施されたんだっけ。そのせいで今年の成人式は
荒れたんだ(つまり例年よりも正月に近かったので田舎に
帰れた人が多かった)、という説を聞いたけど果たして
真相は。新大久保の事故には、ただただ合掌……しかし
あの非常停止ボタン、わかりにくいよ>JR。皆さん、
非常の際は非常ボタンを押しましょう。そうだ思いだした、
首相の買春疑惑ってどうなったんだっけ。ずいぶん以前、
贈賄裁判で政治家の名前を検察が出した時に、「けしからん」
といって自民党が検察を名誉毀損で訴えようとしたら、よく
考えたら検察のトップのトップ……のトップは内閣総理大臣
だった(つまり訴えてる人と訴えられてる人が同一人物だった)
ので、告訴を取り下げた……という騒ぎがあったけど、あれを
思いだしてしまいましたよ。げほげほ。なんだか政府と自民党
の悪口が多いけど、そのへんに関する新城の意見は3月の一言で
まとめたいと思いますです。
2001年1月:「今世紀こそ漢文とラテン語」
……って、べつに「みんな習え!」ってことではなくて、
今年(以降)こそ、この二つをきちんとマスターしたいなあと
いうのが新城の秘かな希望であります。はい。