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★柳川/新城先生のありがたいお言葉の解説(解説文責……:散歩男爵 :散歩執事)
1999年のお言葉 2003年8月〜12月の(長い)一言: 「WMD、グアンタナモ、1648年……もしくは et in Rhetoricia sumus」
まずは「まぐまぐ」経由でこれを読んでいたり、最近
になってNC通信を読み始めたり、あるいは『散歩
男爵』サイトでこれを読んでいるという皆さんの
ために、2001年9月11日以降の新城がどんなことを
考えてきたのかの流れを、これまでのNC通信など
から引用しつつ、まとめてみたいと思います。
当時の「今月の一言」にもありますとおり、最初の
新城のリアクションはこんな感じでした:
> 「1993年9月13日か、それとも2001年9月11日か」
>
> 二つの日付のうち、後者は言わずもがなですが、前者を
> 知っている人は、いったい幾人いるのでしょうか……。
>
> 以前にも書いたとおり、新城は本来スチャラカなことを愉しむ
> スチャラカ小説家であり、ここで真面目な話を書くのは主旨に
> 反するはずなのですが。今回は多少、個人的な事情もありまして。
>
> 説明しますと、一つ目の日付は「オスロ合意」が成った日であります。
> パレスチナとイスラエル双方の代表が握手をし「とにかく、そうは
> いっても、色々あるけど、でも……和平を!」とギリギリの宣言をした
> 日です。演壇に立ったイツハーク・ラビンが、「もう(殺し合いは)
> たくさんだ!」と声を震わせた日なのです。
>
> 大学時代には(不真面目ながら、いちおう)東洋史の徒であり、
> イスラームと西アジアについて多くを学んだ新城にとって、それは
> (おそらく当事者の多くにとって不満と批判の対象であるのでしょうが)
> ベルリンの壁崩壊の夜と並ぶ「輝かしき歴史の瞬間」でありました。
>
> 9月11日以降に飛び交い始めたさまざまな言葉……「新しい戦争」
> 「文明と恐怖との闘争」「目に見える貢献」「果てしなき正義の裁
> きInfinite Justice」などなど……については、ここで新城が解説
> するまでもないでしょう。Webのあちこちに、厖大な説明と意見が
> 駆け巡っておりますので、そちらを検索/参照してください。
>
> ただ、そうした活発な言葉の底にあるのは、つまるところ、
> 上記の二つの日付のどちらを我々は選ぶのか(選び得るのか)という
> 選択なのだ……というのが、現時点での新城の拙い意見です。
> 93年9月13日か、それとも01年9月11日か。
> 歯を食いしばっての妥協と対話か。それとも恐怖と憎しみの連鎖か。
>
> はっきり言って、自分がどちらを選ぶのか、選べるのか、となると
> 新城自身にもわかりません。もしもあの倒壊したビルの中に、自分の
> 肉親が、友人が、愛する人がいたら? あるいはまだ連絡がないだけで、
> 知人がすでにまきこまれていたとしたら? ……そう想像してみれば、
> 和平や対話というものが本来は、世間で誤って受けとめられている
> ように軟弱や気弱さから発するものでないことは解っていただける
> と思います。
> あなたは、自分の肉親や友人を殺した(に違いない)者たちに
> むかって手をさしのべ、「和平を!」と呼びかけることができる
> でしょうか? それとも銃口を向けるでしょうか?
> どちらの選択が、より人間的なのでしょうか?
>
> それとも、「人間的にふるまう」ことがすでに恐怖や憎しみと
> 不可分なのでしょうか?……
>
と同時に、たしか9月12日だったでしょうか、
エルスウェアの事務所でTVのニュースを観な
がら、新城は隣にいた社員の某君にこう言った
のを憶えています:
「この『戦争』、アメリカは勝てないよ……
もし勝ったとしても、その時そこにあるのは、
我々の知っているようなアメリカではなく
なっているよ、きっと」
そしてその後、イラク戦線で砲火を交える前、
02年12月半ばには、こんなことを書きました。
> 表面的には「これは新しい戦争だよ〜ん」「だから
> 市民的自由は多少目減りするよ〜ん」と言いながら、それでも
> アメリカは何とかして、911事件以降の動きを
> 「古典的な戦争」
> の裡へ、はめ込み直そうとしているとしか思えない……
> やっぱ巨大軍産機構の慣性運動みたいなものなのか?……てな
> ことを最近は、とみに考えております。
>
> ビルぶっこわしたテロ「犯人」つかまえるのにアフガンという「国家」
> に攻め込み、テロ的手法を「誰か」が米国に使うかもしらんという脅威を
> 大義名分にイラクという「国家」に突っ込む準備をし……やはり
> 国家は、国家を相手にしてしか「戦争」できないのかも
> しれません。仮にイラクについては、ホントは石油が
> 欲しいだけなのだとしても、情けないというか
> 言い訳が下手というか……。
>
> これが本当に「新しい戦争」ならば(そして新城は、そうだと
> 思って昨年以来ずっとこれを「第一次非対称大戦」と呼んでいる
> のですが……)、「国家」と「個人」が、もっと正面きって戦争を
> おこさざるをえないのです……論理的には。
> しかし米国は相変わらず「国家間戦争」にむかっているように見える……
> うう〜む。それしかできないのかなあ、かれらの持っている兵器体系
> では? できたばかりの「本土安全省」も、基本的には「物理的領域を
> 防衛する」っぽい組織だし。
>
> むむ〜。
> なんか急に話がシリアスっぽくなってきたなあ……ええと、この
> 話題については、新城が友人某に去年送ったメールからの抜粋を
> お見せしたほうが分かりやすいかもしれません。911事件直後に
> 自分の得た印象を、新城は今でも、骨格は正しいと思っております。
>
> てなわけで、以下コピペです。
> 日付は、2001年9月17日。事件の6日後です。
> 口調がだらしないのは、親しい友人相手
> ということで御容赦をば^_^;}:
>
> (略)
>> それにむしろ、今後気にするべきは、
>>
>> 4)政治的側面……米国内の共和党右派〜極右の台頭
>> (つまり「テロ=驚愕→恐怖→不安によって自分の意志を通す」
>> ものなのだから、「テロに対抗するためには安心と予測可能性
>> で全世界を覆わなくてはならない」のは定義から当然に導かれる
>> 話……なので、今の自由主義社会のウリになってる言論の自由
>> やら移動の自由やら差別と偏見のない制度やらってのは、必ず
>> 制限を受けるわけですわい:
>> 「自由と安全のトレードオフを再計算せねば」と、すでにゲッパート
>> やマケインあたりがCNNで公言してたし、この動きはもう始まって
>> いると見るべきでせう:というわけで、)
>> ……「テロルに抗する社会」の必然的結果としての
>> ITビッグブラザー国家への一本道
>> ……米国内ミリシアが活気づいて、国内で反イスラム
>> のテロを勝手にはじめて手に負えなくなる
>> ……パキスタンの民衆暴動と軍事政権転覆
>> サウジの王朝転覆→内戦
>> ……附:日本で、奥さんに逃げられたどっかの莫迦が
>> 似たような事件をおこしてベイブリッジに突っ込む^-^;)
>>
>>
>> 5)経済的側面……(世界同時不況はすでに始まっていて、単に
>> 恐慌になってないだけなので、)グローバル流通機構が上記4)の
>> 結果どのように変質するかによって結果はかなり変わってくる
>> でせう:
>> 最善の場合は「テロのリスクを価格に上乗せしたイヤ〜な世界経済」、
>> 最悪の場合は「近未来的中世」に逆戻り、というのが現時点での予測っす
>>
>> 6)てゆーか、特攻テロのコストパフォーマンスの良さを考えれば、
>> もう近代文明は「終わった」と考えるべきでないの?マジで。
>> どう考えたって今後は成り立たないでしょう、フランス革命以来の標語
>> である「自由・平等・同胞愛」は。テロルが勝っても「テロルに抗する
>> 社会」が勝っても。
>> それは「西欧vsイスラム」とかいう文明衝突論ではなくて、
>> 「西欧近代文明vs西欧近代文明の悪用」なんだから、今回の事件は。
>> たとえば特攻実行犯が酒鬼薔薇聖人だったとしても、同じような惨事が
>> (飛行機は一機だけで済んだかもしれないけど)引き起こされるわけでさ。
>
> でもって、さらに上記の詳しい説明を
> 9月20日に付け足したのが、以下のメール
> です:
>
> (略)
>> えーとつまり、「テロル」を本気で無効化しようと思ったら、主権
>> 国家は国民&資産の移動を可能な限り完全に「秩序だったもの」に
>> していくしかないわけですね。「驚き」「不安」の要素を排除する
>> ために。となると、「自由」とか「平等」といった近代的観念は
>> 窓の外にポイされてしまうわけで。(ここで忘れちゃいけないのは、
>> 「ちょっとならいーじゃん、自由の制限」という論理が、「自由」には
>> ボディブローとして効いてきてしまう……という歴史的教訓。「最初の
>> 鎖で最初の一人が繋がれた時、すでに我々は皆一人残らず囚人なのだ」
>> というやつで……。)米国が泥沼の非対称戦を本気で戦うというのなら、
>> そういうわけで、行き着く先は「敗北」でなければ「アメリカを素晴らしい
>> 国たらしめている様々な観念をチャイして、ひたすら国内外の安全だけを
>> 追い求める全体主義国家……しかもたぶん電子技術の活用で」になるしか
>> あるめえ、というのが俺の結論。
>> もちろん「じつはブッシュ、本気で戦うつもりはありまへんでした〜」
>> というオチも充分あり得るんだけど。
>>
> (中略:サウジ王朝転覆の可能性について……)
>>
>> そもそもビンラーディンがなんであんなに怒って金使ってるかって
>> いうと、イスラームの二大聖地(メッカとメディナ)を国内に持ち&
>> その庇護者なりと公言しているサウジに、こともあろうに米軍が
>> のうのうと駐留してるからなのよ。
>> それも、大義名分は「同じアラブ、同じムスリム(しかも同じスンニ派)」
>> であるイラクを「封じ込める」ために……。戦争は終わってるだろ、という
>> 何百万のムスリムのつっこみを無視しながら。
>> 喩えれば、埼玉県で起きた暴動を鎮めるためにと称して、米軍が皇居の
>> 隣の北の丸公園(だっけ?)に十年居座り続けるようなもんで。しかも
>> 埼玉県は貧困でヘロヘロにもかかわらず。
>> そりゃ怒るよ、ふつう。
>>
>> なので、
>> ビンラーディンが勝っても負けても(死んでも)、
>> →「イスラームの大義は米国に踏みにじられている!」
>> 「その米国を手助けしている『イスラームの中の裏切り者』は誰だ!」
>> →「サウジ王家はムスリムの盟主でもなければ庇護者でもない!」
>> 「メッカとメディナを米国から取り戻せ!」
>> →「サウジ王家でなければ、それ以外の主権者をサウジの地に!」
>> ……となるのは必定。ちょうど、徳川幕府が当事者能力を失っていくのと
>> 並行して、「攘夷」を望んでいた草莽の志士たちが「尊皇」へと最後の
>> 希望を託していったように。
>> ついでに言うと、「イスラーム」を「パシュトゥー人」に取り替えれば、
>> 同じ理屈でパキスタンでの内戦のほうが先に起きるかもしれん。
>>
>>
> (中略:「近未来的中世」とは何か、という質問に対して……)
>>
>> ハイテクはあるんだけど、それが全人類の幸福にはほとんど寄与
>> しないで、国際貿易が退行縮小し、大半の人口は「国内自給自足」
>> でもって暮らしていくような時代……ですな、俺的イメージだと。
>>
>>
> (中略:「近代文明」の定義について……)
>>
>> この場合は、三十年戦争で芽吹き、フランス革命でかたちが整った
>> 社会体制……「相互に承認し合う主権国家群」と「法の支配」で
>> 出来ている状態ね。あと、これに「国家の、科学技術への幸福な
>> 片思い」状態を加えれば、ほぼ完璧。
>>
>> これが「終わった」というのは、
>> ・主権国家と個人が戦争を始めちゃった
>> ・テロは「恐怖の支配」であり「法の支配」の対極に位置する
>> ・科学技術は、主権を安泰ならしめるものではなくなってきた
>> ……という感じかなあ。
>> もちろん今日明日にスパーンと終わっちゃうんじゃなくて、これから
>> 進展と反動を繰り返しながら物事は進んでいくんだろうけど……。
>> でもきっと、百年後の歴史家は「2001年9月11日」を象徴的な
>> 起点として使うんじゃないだろうか。
>>
> (後略)
>
>
> とまあ、1年間ねかせてみても自分の考えが基本的に
> 変わってなかったので、ここに公開してみました。
> 今日現在でも、新城は、911でもって文明史は数百年ぶりに
> (つまり1648年のウェストファリア条約以来)大変動を始めたと
> 思ってますし、「テロに対する戦争」を本気で戦ってしまうならば、
> それが終わったときに勝者として立ち現れるのは米国ではない
> (すくなくともこれまで僕たちが見聞きしたり何となく信じて
> いたような単純素朴で若々しいイメージの、あの自由と機会と
> 正義の国ではない)と考えています。
> そしてこの国のメディアが、そういった問題とはまったくズレた
> ところで時間と労力を浪費しまくっている……そんな気がして
> なりません。
>
> いやほんと、正直な話、田中さんだか何さんだかがノーベル賞式典で
> どういう発音で英語喋ったかとか、カエル飛びをほんとにしたのか
> とかなんて、どーでも良いじゃないすか。実際。マジで。
> もしくは脚本がヘニャヘニャでつまらない『千と千尋〜』が
> どういう海外の素敵な賞をいくつ受賞したとか。
>
> いったい世の中どうなっちゃってんのさ……というのが、
> 昨今の新城の偽らざる気持ちでありますです、はい。
>
> やっぱ世界を滅ぼすのは、邪悪な魔王でも独裁者でも異教徒でもなくて、
> 僕たちみんなの
> 「愚かさ」
> とか、
> 「浅はかさ」
> なのかなあ……。
>
そして年明けて02年の1月半ばには、イラク戦線の可能性
についてこう考えていました:
> 現時点での新城カズマ(というか天下の御意見小僧・
> 柳川房彦)としては、
> 「む〜、3月までにやらないとなると、経済と再選を
> 考えて今年後半(911の二周年とか)もしくは来年
> あたまがベストなんだが……しかしそこまで引き延ばす
> となると既にビルドアップを始めた16万人だかの兵力
> の維持費もバカにならんし……英米&日本だけで3月
> にバグダッド急襲すんのか? 無茶な作戦だなあ……
> パウエル可哀想だなあ……いや、むしろ辞任させられ
> ちゃうのかな……むむむ」
> というところで予測がまとまらず、しょうがないので
>
> 1)ブッシュがアホなら2月末〜3月に無理やり空爆&地上
> 兵力投入
>
> 2)ブッシュが幸運またはスタッフが有能なら、緊張感だけ
> 維持しつつ今年後半〜来年あたまに開戦:維持費の領収
> 証は日本政府にまわす
>
> というあたりで止まっております。どっちもロクでもない
> 展開ではあるのですが……。
さらに同日、上記の「愚かさ」についての考察として、
こんなことも書いてました:
> 僕たちを滅ぼすかもしれない「愚かさ」と
> いうのは、
>
> 「必要な情報をたまたま知らなかったがための、失敗」
>
> ではなく、かといって、
>
> 「見て見ぬフリからくる、責任感の欠如」
>
> とも似てますがちょっと違っていて、むしろ
>
> 「人間社会にとって避けることのできない、
> いかんともしがたい、悲劇的な何か」
>
> みたいなものだ、と。
> 国内メディアのピントはずれと分析不足、
> そして「見て見ぬフリ」も、もちろん
> 新城はプンプンと怒るわけですが、
> しかしそれじゃあ逆に日本人が全部
> まるごと世界情勢に敏感になって
> 必要な知識と基礎教養と分析力を
> ドカーンと獲得できるのかいな……と
> 考えたとたん、
> 「……無理じゃん!」
> と、しごく穏当な結論に達してしまう
> わけですね。
> 個々人が賢くなるのも、賢くなろうと
> 努力するのも可能ですが、しかし社会全体が
> ドカーンと一気に賢くなる……なんてのは、歴史
> をひもとけば「そりゃ無理でしょ」と、すぐに
> 理解できることです。それを強引に実行しよう
> とすると何が起きるのかは、僕たちは前世紀ロシアの
> 革命において、あるいはカンボジアの悲劇において、
> はたまたさかのぼってロベスピエール時代の
> フランスにおいて、じゅうぶん知っている
> はずなのです。
>
> でもって、にもかかわらず、その避けがたい事実が、
> 今やかつて無いほどに重要な問題となっているの
> では……というのが、昨今の新城の率直な感想なのです。
>
> なんていうか、まさか冷戦時代を懐かしむ
> ことになろうとは思ってもみなかったので
> すが、あの時は二つの超大国(かなりダメダメな
> 部分もあるとはいえ、まがりなりにも西洋文明の
> 長い系譜における最新の文明国)が互いを睨んで
> 座ってれば、他に心配せにゃならんのは偶発事故
> だけ……という、今から考えれば何とも「素朴」な
> 時代だったのです。
> しかし。
> 今や、先進国と自らを呼ぶ社会が心配せねば
> ならんのは、この地球表面が「文明と秩序」で
> 完全に覆われてはいないという不可避の事実そのもので
> あったり……人類の努力でやっと撲滅させたはずの、
> 自然界にあたりまえに存在していた病原菌であった
> り……どこからいつやってくるかよくわからない
> 一握りの狂信的な過激派であったり……ほんの昨年
> においては、文明の利器である飛行機そのもので
> あったりしたわけです。
> それどころか、自由と機会を求めて他国からやってきた
> 若者たちを「あんたの国は危険……かもしれないからね!」
> というだけで指紋押捺させて心配せねばならんところまで、
> たとえば米国(の一部)は至っているわけで。
> しかし、だからといって、新城が米国民に、
> 「自由と公正はどうしたのよ!?」
> とツッコミを入れても、彼らの不安は消え去る
> わけもなく。
> 「だって……じゃあどうしろっていうのよ! あたしの
> 子供が危ない目に遭ったら、どうしてくれるのよ!」
> という名も無き母親の反論が、新城は即座に想像できてしまう
> のです。
> 他人に「賢くあれ」と命じることは誰にもできない相談
> でしょう。ましてや「怖れるなかれ」と強いることは。
>
> 不安な状況で自由よりも秩序を、公正よりも安全を求める
> 心理は、自由と公正を望む魂とまったく等しく僕たちの
> 中にあります。これは避けがたいことです。
> そしてたぶん、見て見ぬフリを(つい)してしまう心理と
> いうのも、同じくらい人間の本性に根ざしている気が
> するのです。
>
> となると……まあ、あとは人間なるものに愛想をつかして
> 「世界なんて滅んじゃえ!」
> となるか、あるいはガックリと肩をおとしつつ、
> 「はあぁ……莫迦な子ほど可愛いってのは本当だねえ」
> とばかり、きっと無駄におわる努力をちょびっとづつ
> 続けるか、もうその二つに一つしかないんじゃない
> かな……と、新城はそんなように考えています。
そして戦争直前、3月11日には、以下のような
心境でした。この文章については以前に某サイトの
日記に転載されていたので、NC通信の読者以外にも
すでに御覧になった方がいるかもしれません。
> というわけで、気がつけば世界情勢は
> あまりにも間の抜けた最悪の状況へ
> 突き進んでおるわけですが。
>
> ていうか、そもそもの開戦理由(というか
> こじつけ)を、世界の皆さん憶えてらっしゃる
> んでしょうか。とくに開戦賛成派の人たち。
>
> 誰かお願いですから、フセイン政権と
> アルカイーダが裏で繋がっていて911の事件を
> 引き起こした具体的な証拠を僕に見せて下さい^_^;}。
> この半年以上、海外のニュースやnetのサイトを
> 含めいろいろ探し回ったんですが、米国政府が
> それを提出したという事実が見つかりません。とほほ。
>
> じゃあ、単に「大量殺戮兵器を持ってるから」って
> だけで攻撃するのなら。
> この地球上でいちばんたくさんそういう武器を持ってる
> 国の名前を、皆で一斉にあげてください。ほんとにもう。
>
> さらに、「大量殺戮兵器を持ってて、しかもそれを過去に
> 使った実績のある悪い国だから」ってんなら、人類史上
> 最初に原子爆弾を(2発も、しかも民間人に対して)使用した
> 国の名をあげてください。せーの。
>
> さらにさらに、「大量殺戮兵器を自国民に使ったから」って
> んなら、1950年代以降、冷戦に勝つためとか言って自国民
> (それも低所得層や少数人種である黒人など)に対して、黙って
> 放射能被害や生物兵器の人体実験をおこなってきた国の名を
> あげてください。むはあ。
>
> 「国連決議を12年にわたって無視してきたから」ってんなら、
> 同じ中東で、同じ国連決議を(この場合は「パレスチナの不法
> 占領を即刻やめんしゃい!」という内容ですが)なんと1967年
> 以降、36年間も無視してきた国はどこなのか、それをよーく
> 考えてください。ぷしゅう。
>
> あまりにも出来の悪すぎる「開戦するための正当な理由」を
> 前にして、新城はもう呆れ返って布団の中でのたうちまわる
> くらいしかできません。
> あ、あとはnet上での反戦署名に参加したくらいか。
> ていうか、新城に任せてもらえたなら、もっとマシな、
> 世界中の人の七割くらいが納得できる開戦理由をつくれ
> ましたよ、ほんとに。←本当にやったりはしませんけどね、
> 戦争をけしかけるための仕事なんて。
>
> しかし。
> しかし本当の問題は……少なくとも新城にとっては……
> これだけの愚かさを目の前にしながら、それでも僕は
> あの合衆国と呼ばれる若い国の人々をすごく好きだと
> いう点なのであります。
> いや、今の政権は嫌いだし、嫌い以前にアホだと
> 思ってるんですが。ブッシュ個人がというよりは、
> 組織として。
> でもしかしですね、今の合衆国の人たち(の半分くらい)が
> 恐怖と不安におびえて、間違った拳を間違った方向へ振り下ろし
> たがる気持ちの正しさを、新城はすごく理解できるのです。
> 納得はしませんが、理解できるのです。
>
> おそらく日本国内のメディアだけを観ていたらば、こうは
> 思わないのかもしれませんが……例の911事件以来、CATV
> などで米国からのニュースをたんと観てきた新城はすごく
> 感じられるのです。
>
> 合衆国市民は、本当に、心の底から、その短い歴史上初めて、
> 「怖がっている」
> のだと。
>
> たぶんこのことは、これから非常に重要な要素に
> なってくると思いますので、どうか心の片隅にでも
> 留めておいてください。
> 米国は邪悪なのでも粗暴なのでもないのです。
> 彼らは、ビビりまくっているのです。
> ドラえもんの助け無しにのび太のパンチがジャイアンの
> 顔面にクリーンヒットしてしまったので、哀れなジャイ
> アンは恐怖のあまり隣にいたスネ夫に殴りかかっている
> のです。
> そして多くの合衆国市民は……あの陽気で、若々しくて、
> 親切な田舎者で、世間知らずで、いちども本土を占領された
> ことはおろか空襲すら受けたことのない、幸福な人たちは……
> 初めて体験する本物の恐怖と不安に、引きずられているだけ
> なのです。
> それを、ほんのごく少数の、昔は仲間だったはずのフセイン
> が邪魔になったからってんで斬り捨てようと考えている政権
> 内部の人たちが、うま〜く利用しているだけなのです。
> (当時のことを知らない若い皆さんは、1980年に始まった
> イラン・イラク戦争の時に、合衆国がどっちの国の肩をもって、
> いくらぐらいお金や武器をあげていたかを調べてみてください。)
>
> 「そんなに怯えることないじゃん、ビル2つくらいでさ、
> まったくもう」と、この国に安全に住んでいる僕たちが
> 言うのは容易いことです。
> しかし、その視点だけにかじりついていたら、彼らの
> 眼に今どんな風に世界が映っているか、そして次に
> 彼らが何をするのか、それを理解し予測することが
> できなくなるような気がして仕方ありません。
>
> う〜む、いかん。また長くなってきちゃった……^_^;}。
>
> 戦争が無いに越したことはないのですが、このまま
> ゆけば、これは間違いなく「僕たちの戦争」になる
> でしょう。「彼らの戦争」ではなくて。
> そして最悪の場合、彼らの恐怖は「犯罪を、戦争の
> 一部と見なす」方向へと世界中を引っぱっていく
> でしょう。(戦争と犯罪の決定的な区別とか、
> 「戦争すら犯罪であると見なす」もう一つの見方
> との重大な違いについては、長くなるので次回以降に
> します、すいません。)その発想の転換が、1648年の
> ウェストファリア条約以来の大転換であることに気づいて
> いる人は、なんだかひどく少なそうで、新城はそこが
> 一番心配なのですが。
>
> ぬぬぬ、もう時間がない〜。
> というわけで、このへんでまとめ:
>
> 「もしも合衆国が『ボクたちは怯えてるんです、
> 助けてください!』と素直に泣きわめけたならば
> もうちょっと世界は平和な場所だったろうに……!」。
>
というわけで、見事にこれは「僕たちの戦争」に
なりつつあるわけです。こんな予測、当たっても
嬉しくもなんともありませんけど。
ちなみに……厳密にいえば米国本土は(太平洋戦争中に、
日本の風船爆弾によって)「空襲」されたことがあるには
あるんですが……まあ、ちょっと規模が規模でしたから。
「本土の占領」についても1812年戦争だか米墨戦争だかで
短期的にあったように記憶してますが、いずれにせよ
ここでは合衆国市民の心理的影響の大きさのことを表現
したかったわけなので、上記のような言い回しになって
おります。
でもって今年の7月末になると、新城の考えは以下の
点に集中することになります。
> だから、今の政府が採り得る方法というのは、
> 1)法律を改正して、「危ないところにも自衛隊が
> 派遣できる」ようにして、なおかつ「今、イラクと
> いう危ないところへ自衛隊を派遣することが日本全体に
> とって価値のあること、あるいは有益であること」なの
> だと国民を(せめて議会を)説得する
> 2)自衛隊を派遣しない
> の、どちらかしかないはずなのです。合理的に考えれば。
>
> いや、合理的じゃなくっても、ふつうの一般常識で考え
> れば。たとえ常識がなくっても、生き物として当たり前の
> 生存本能みたいなものが備わっていて、
> 「こうしたら、ああなるな。ああしたらこうなるかも」
> っていう、それくらいの感触さえあれば。
>
> なのに、政府がしてるのはそうじゃない。
> 「あそこは危なくないっすよ、ははは」
> としか言わない。
> 言わないにもかかわらず、自衛隊員死亡時の
> 補償金を値上げし、武器携行について真剣に
> 考慮し、さらには特殊部隊の現地派遣も検討
> している。
> なんじゃそりゃ!
>
>
> 新城は、マジで心配してます。ていうか、自衛隊員に
> 知り合いがいますし。蓬莱学園のゲームとかやってた
> 頃からの関係で、新城カズマの読者の中には少なからぬ
> 自衛隊員さんがいることも知ってますし。
>
> 正面切って、
> 「いや、今は米国に同調するのが日本の国益にとって
> 最上の選択なのだ! みんな、すまんが我慢してくれ!」
> とか言うんだったら、まだ議論のしようもありますが。
> せいぜい言ってるのは、
> 「だって北朝鮮の問題もあるし……ここで米国に協力して
> おかないと、いろいろやばいし……」
> みたいな言い訳がましい台詞か、さもなけりゃ、
> 「大量破壊兵器の証拠? もうじき見つかりますって!
> フセインが見つからないからって、いないってことには
> ならんでしょ!」
> だけ。
>
>
> いやホントに。
> この数ヶ月で、この国は全面的にどうにかなっちゃった
> としか思えません。
> いや、それとも、たまたまこの数ヶ月、新聞とか
> テレビを見てなかったからそう感じるだけで、
> じつはもっと前に、僕たちはヤバい何かの線を越えて
> しまってたのでしょうか。
>
> ちなみに首相の「フセイン見つからなくても」発言に
> ついては、8月発売のジェスターズ・ギャラクシー
> 3巻のあとがきでも簡単に触れてますんで、そちらも
> 御覧ください^_^)。
> って、たまにはこういう軽口も入れとかないと、ほんと
> やってられないっすよ。
>
>
> 「どうしようもない時に、人は笑うしかない」ってのは、
> たしか『はみだしっ子』でグレアムが言ってた台詞だったと
> 思うんですが。
> ほんと、そんな感じです。
ちなみに上記のグレアムの科白も、正確には「笑うか
泣くか、どちらかだ」みたいなものだったと思います
が……それはさておき。
と、ここでようやく表題の件に戻るわけですが。
(注……じつはこのへんまで書いたところで
「イラクで日本の大使館員殺害される」の報が
入ってきました。ここから先の文章は、半分
くらいはすでに11月29日に書いたものですが、
校正して最終的に書き上げたのは2004年1月
上旬であります。)
僕はここで、あくまでも原理原則の話をしたいと
思います。僕たちが直面している問題は、すでに
細かい現実的なこと(イラクに送り出す自衛隊は
どういう武器を持つべきなのかとか、北朝鮮有事
のことを考慮してここは米国主導の占領に便乗し
ておくべきじゃないのかとか、そういう話)なの
ですが。あえて、そうした部分を、僕は丸ごと脇
へ除けておいて、無駄なくらい大きな枠組みにつ
いて考えたいのです。
それは、次のような物の見方についてです:
はたして、本当に、僕たちは「テロとの戦争」を
戦っているのでしょうか? 憎むべきテロリスト
どもと僕たちは「戦争」することができるので
しょうか?
そもそもテロリストどもは、僕たちに「戦争」を
仕掛けてきたのでしょうか?
もっとはっきり言います。
あれは、「犯罪」だったのではないでしょうか?
あの911の悲劇は……どれほど巨大であっても、
どれほど残酷であっても、どれほど破壊的で
あっても……あれはどこまでも「犯罪」だった
のではないでしょうか?
あれを「戦争」と呼ぶのは、単なる比喩やレトリック
の類ではないのでしょうか?
僕たちは今、間違って「レトリックの国Rhetoricia」に
移り住みつつあるのでは……いいえ、巧妙かつ強制的に、
移住させられつつあるのではないでしょうか?
僕たちは比喩的に「麻薬に対する戦争」を戦うことが
できます。「犯罪に対する戦争」を宣言することができ
ます。「交通戦争」にまきこまれ、「受験戦争」を生き
抜くことができます。
「人権のための戦い」に身を投じ、「賃上げ闘争」に
団結し、果ては「ダイエーvs阪神戦」にさえ没頭する
ことができるのです。
ですが。
それらは、レトリックでしかないのです。
合衆国大統領が「テロに対する戦争」を宣言した時、
一体どこまでがレトリックで、どこまでが本当の
「国家意志を貫徹するための軍事行動」だったので
しょうか? もしくは、どこまでが古典的な対イラク
戦争への露払いにすぎなくて、どこからが「新しい
戦争」の始まりだったのでしょうか?
そもそも、911の惨劇が「やつらによる宣戦布告」である
と、僕たちはどうやって判別し得たというのでしょうか?
なぜ、例えば93年の世界貿易センター爆弾テロが「やつら
の宣戦布告」だと認識されなかったのでしょうか?
単に犠牲者が少なかったから?
ビルが倒壊しなかったから?
宣戦布告とは犠牲者の多寡で決定されるものなのでしょ
うか?
もしもそうなら……もしも明日パレスチナで(あるいは
チェチェンで、チベットで、北朝鮮で、それ以外のどこ
かで)いっぺんに3000人の人間が殺されたらば、合衆国
は彼らの死に涙し、「犯人」に対して「宣戦布告」して
くれるというのでしょうか?
そもそも、なぜ「いっぺんに3000人」でなくてはいけない
のでしょう? 数十年かけて3000人が殺された場合、それ
は「やつらによる宣戦布告」の名に値しないのでしょうか?
では1万人ならば? 十万人ならば?
それとも、「アメリカ人が3000人」でなくてはいけないの
でしょうか?
*
ここで忘れてほしくないのは、僕は「3000人殺されても
大したことない」と言っているのではなく、あるいは
「数十人殺されたら、そりゃもう戦争だ」と言っている
わけでもない、ということです。
また、一度に数千人が殺された時のショックは(常識的に
考えれば)数十年かけて同じ人数が殺された時よりも大き
いだろうということも、じゅうぶんに理解しています。
が。
それでもなお、僕は考えてしまうのです。
(注:といったことを書いておいて早く送信しなく
ちゃとか思ってるうちに時間が過ぎてしまい、なんだか
世間では「大量兵器なかったんじゃないの?」みたいな
意見が一般的になりはじめてます。ここから先の文章は、
原型は2003年12月以前に書いてますが、清書したのは
2004年2月になってからなので、無意識のうちに
「後だしジャンケン」議論になってしまっているかも
しれません……。ちなみに大量破壊兵器についての
新城の意見は、この文章の上のほうの「しょうもない
開戦理由」の項を参照してください。ちなみに、新城は
2003年3月時点で、「核兵器は実験してないから持って
ないだろうけど、化学兵器は簡単につくれるから、もし
かして持ってるかも……でも使うとしたらバグダッドが
陥ちる時かなあ」という意見でした。)
911を、米国政府のように「新たな戦争」と呼びたいので
あれば……そして僕は米国政府とは別の理由から同じ結論
に達しているのですが……ではいったい、この「戦争」の
何がどう新しいのか、その影響は僕たちの社会のどこまで
及ぶのか、そうしたことを考えなくてはならないはずなの
です。
たとえば、「大量破壊兵器Weapons of Mass Destruction」
の件はいったいどうなったというのでしょうか。
それを持っていたかもしれない、これから持つかもしれ
ない、それだけを理由として僕たちは(そう、「彼ら」
ではなくて「僕たち」が)攻め込んだのです。それが、
「大規模戦闘」終結宣言から半年経っても見つかっていない。
そのことについて、いったい僕たちはどれだけ真面目に考え
たというのでしょうか。(04年1月になってから、次第に
「ほら見ろ、なかったじゃないか」とか「いや、まだある
かも」とか「あってもなくってもフセイン排除できたんだし
いいじゃんか」といった意見を耳にしますが、僕に言わせれ
ば、それらはすべて瑣末事なのです。)
僕自身が考えたことは、こうです。
実を言えば、見つかっていないことが問題の本質ではない
のです。それはもしかしたらラムズフェルド長官の言うと
おり「イラクは広い」ためかもしれないし、これから見つ
かるのかもしれないし、本当に無かったのかもしれないし、
事態の落ち着く先はいくつもあります。
問題の本質は……
攻め込んだ時点で、『ある』と知っていて攻め込んだのか、
『ある』と確信していたのか、『ある』と誤って信じ込ん
でしまって後になってその過ちに気づいたのか、それとも
一部の人間だけ『ある』と思い込んでいたのか、はたまた
一部の人間は『ない』と思っていたけど情報がトップに伝
わっていなかったのか?
なのです。
そう、「攻め込んだ時点で」。
この条件はとても重要です。もしかしたら、兵器が実際に
存在したかどうかよりも。
かつてウォーターゲート事件で、
「ニクソン大統領は(部下の盗聴行為その他の違法な諸々を)
いつから知っていたのか、そしていつのまに、何も知らない
という設定になったのか?」
という有名なジョークがありましたが、ほとんどそれに近い
状況の莫迦莫迦しさを、僕は感じてしまうのです。
たとえば昨年のクリスマス前にフセインがつかまったように、
2004年の7月4日とか9月11日とかの前後に、
「大量破壊兵器、ようやく見つかりました!」
という景気のいいニュースがとびこんでくるかもしれません。
でもその時、僕はどうやって米軍の言い分を信じたら
いいんでしょうか?
一年以上イラク中を米軍が歩き回っていて、そのあげくに
「ようやく」見つかった証拠というものを当然に疑い始め
る自分を、どうやって説得すればいいのでしょうか?
「何人も、己の事件の裁き手となることはできない」
というラテン語の箴言がありますが、この場合、証拠品
探索者は捏造者でないという保証を僕はどこから得れば
いいのでしょうか?
(正直に言ってしまうと、僕はもっと早い時点で
「証拠」が「発見」されるものだとばかり思っていた
のです。たとえそれが、湾岸戦争の際の黒い海鳥や、
「病院でイラク兵士が乳児を壁に叩きつけて殺した」と
証言したあの可憐な嘘つき少女の件と同じく、しばらく
たってから、「いや、その、実はあれは、厳密に言えば
事実じゃなくて、というか丸ごと捏造だったんですけど
……えへへ、でもまあいいじゃないすか、勝ったんだし」
みたいな、言い訳にもならない話が漏れ聞こえてくるに
しても。)
「フセイン倒せたしイラクは民主化するんだから、
いいじゃないのさ」と言う人に対して問いたいのは、
ようするにこういうことです。
「次に米国が『確かな証拠がある』と断言して、どこか
の国に戦争をしかけた時には(もしくは何らかの政策を
変更した時には)、僕はいったいどうやって彼らを信じ
られるのでしょう? 信じて良いものなのでしょうか?」
それがつまり、Rhetoriciaで生活するということなのです。
そして僕たちの前には、来たるべき未来の残像として、あの
グアンタナモ基地もあるのです。
バグダッドの悲惨でもなく、カブールの混迷でもなく、
この巨大な「非対称大戦」の矛盾をもっとも体現して
いるのは、キューバにある米軍基地グアンタナモ……
その中に設けられた「被拘束者detaineesのための場所」
なのです。戦争法規と平時の刑事訴訟法との隙間に落ち
込んだ容疑者たち。戦時捕虜としての正当な扱いも受けられ
ず、さりとて犯罪容疑者のように弁護士や黙秘の権利も満足
に受けられない……と、少なくとも一部の報道では伝えられ
ています。ある英語圏のメディアが「グアンタナモは法的な
中有(ちゅうう)limboだ」と表現したのも、故無きことで
はありません。
だから。
もしも、「もはやこれは新しい戦争なのだ、新しい
時代なのだ!」と主張したいのであれば、米国は
けっして「これは自由のための戦いなのだ」と同時に
言うことはできないはずなのです。おいしいところを
両取りすることはできません。それは理屈が通らない
のです。
彼らは(もしくは僕らは)、次のうちのいずれかを選ば
ねばならないのです:
1)これは新しい戦争であり、17世紀以降のさまざまな
国際法の観念は再考されるべきだ。「力が正しさを
決める」のだ。巨大すぎる国際犯罪は、従来の主権
国家間の取り決めの隙間を縫っておこなわれるが
ゆえに、これに対抗するには現在の国際組織では
無理がある。故に我々は国連を重視しない。
我々は「解放」もしなければ「自由と民主主義」
のために戦うわけでもない。あくまでも我々の
国家の安全保障のために、「主権を有するに値
しない諸政権」を排除する。
そして同時に、国内における市民的自由もまた
その新基準に従って再定義が必要だ。
2)これはおそるべき犯罪、憎むべき大量殺人だ。
犯罪は罰せられなければならない……17世紀以降の
さまざまな積み重ねから生まれた、法の精神によって。
*
というわけで。
もしも911とそれ以降の惨劇を「史上最大の犯罪」
と呼ばないのであれば……あれを「戦争」だと
呼びたいのであれば……それはもう「これまで
数百年間慣れ親しんできた戦争」ではなく、
何か新しいものだと、僕たちは認めなければ
ならないのです。
もしくは。
「戦争」という概念そのものを拡張してしまった
のだと。
「戦争」をなんとかして法の体系の中に取り込み、
規制し、制限し、制御し、あわよくば「犯罪」として
禁止しようとする流れとは、向きを異にしてーー
「犯罪」を「戦争」の中に取り込み、定義し、利用
するという暗い流れの中へ、僕たちは身を浸して
いるのだと。
そしてそれは同時に、「自由」とか「平等」とか
その他多くの概念の変更が始まる(かもしれない)
ということなのだ、と。
*
それにしても……「犯罪」と「戦争」とは、つまる
ところ、どこが違うのでしょう? なにか決定的な
違いがあるのでしょうか?
それともやっぱり、けっきょくその二つは規模の違い
でしかないのでしょうか?
ここから先は、僕は確信ではなく類推と断片的な知識
でもって記すことになります。というのも、僕は法学
者ではないですし、軍事の専門家でもないからです。
(なので、以下の意見はまったく見当はずれかも
しれませんし、誤解や偏見にもとづいているかも
しれません。僕の間違いや勘違いに気づかれた方は、
ぜひお知らせください。できるだけ素早く修正版を
追記したいと思います。)
ですが、多少なりとも歴史というものについて読み
かじっている者として、すくなくとも、以下のような
表現に僕は納得しています……犯罪を取り締まるべき
警察と、戦争を戦うべき軍隊とでは、まったく異なる
原則にもとづいて組織され行動する、ということを。
つまり、たとえば警察は、
「これこれのことをしてよい、それ以外のことは
(犯人をつかまえるためとはいえ)やってはいけない」
という原則のもとで機能し、いっぽう軍隊は、
「これこれのことはしてはいけない、それ以外は
(勝つためなら)どんなことをしてもよい」
という原則にいよって動く……ということです。
そして軍隊に「これこれをしてはいけない」という
条件が明確に付けられたのは、やはり1648年
以降顕著になりつつあった「戦争を制御しようと
する近代的努力」の結果だということを。
ならばこそ……それでも……1648年の原則は
2001年の現実によって塗りつぶされ、塗り変え
られようとしているとしか僕には表現のしようがな
いのです。国際政治の新しい(ただし「より良い」
かどうかは保証の限りでない)原則が、今この時、
一日に24時間づつ書き記されつつあるのです。
その新しい原則とは何か。
それは政治の軍事化militalizationであり、
諜報化espionalization(そんな単語がある
のかどうか知りませんが)です。
軍事化といっても、なにも軍産複合体が政府や議会を
買収して裏から支配し……といった陰謀話ではありま
せん。最初に記したように、これはもっと大ざっぱな、
粗っぽい、原理原則の問題なのです。
政治が軍事化し、諜報化すること。それはつまり、
僕たちが、
「〜かもしれない」
「〜という情報があるらしい」
にもとづいて国家なり社会なりを運営せざるをえない
ところに追い込まれている……もしくは自らを追い込
んでいるのかもしれない、ということです。
思考ではなく不安によって、道理ではなく煽動によって
生きることになるかもしれない、ということです。
それがRhetoriciaの、当たり前の日々の暮らしなのです。
(もちろん、「その傾向は911で始まったわけでもない」
「ボスニアやソマリアへの介入、さらには合衆国の中南
米への絶えざる干渉はもっと以前から起きているぞ、今
さら何を呑気な!」という反論がありえることは僕も承
知しています。ここではあくまでも、類型化という危険
を犯しつつ、判りやすさを優先させているとお考えくだ
さい。……)
*
(またまた注:以下の文章は、12月末の時点で書き終えて
いたものですが、すでに今の時点からすれば「なにを
今さら」みたいな内容になっております。とはいえ、
要点の意義は失われていないと思いますのでそのまま
にしてあります。)
もう少し卑近な例で言えば。
「ここで腰が引けたら相手を増長させるので、理非や損
得や法律の文言とは無関係にツッパリ続けねばならない」
そんな薄っぺらな表現が、合理的思考よりも優先される、
ということでもあります。
しかし、
「いま退いたら、負けを認めたっぽく映ってしまうので、
断固として退かない」
というのは、勇気でもなければ、一貫した意志の表明で
もありません。それは自己の判断基準を相手の次の一手
に委ねているだけです。それは裏返しの依存心でしかな
いのです。まるで、
「ママが駄目っていってるから、ボクやっちゃうもんね!」
と駄々をこねる幼児のようなものです。あるいは、B級
映画の悪役軍人が吐きそうな科白です。
相手と同じレベルにまで、己を下げているだけなのです。
比喩や修辞は、時には有効ですが、それだけを思考の拠り
所にするのは危険です。なぜならば比喩はあくまでも現実
を非常に粗っぽくモデル化しただけであり、現実とは異な
る部分が多々あるのですから。
「テロリズムに抗する道は一つではないし、
無鉄砲な(というよりも鉄砲足らずの)
軍事力の派遣が最上の道だというわけでもない」
たったこれだけのことを思いつくことさえ、
「レトリック国」の中では非常に難しくなります。
僕たちの国が、軍隊を(あれを自衛隊と呼びたい方は、
そのように読み替えてくださって結構です)派遣だか
派兵だかするのであれば、それはけっして、
「屈したように見られたくない心理」
を動機としてはいけないでしょうし、ましてや、
「二人の市民の死を無駄にしないため」
「国民の精神とやらが試される機会だから」
などを理由としてはならないのです。
僕たちが派兵するのであれば、それはあくまでも
冷静な政治的判断の結果でなければならないし、その
内容は目的を達するのに十分なものでなくてはならな
いのです。
たとえ百歩譲って、国会閉会中の審査とやらでほとんど
議論もなしに派兵すること自体の是非を考えないにして
も……そもそも、どのような条件がととのえば自衛隊は
イラクから撤退するのか。そのことが今回まったく議論
されていないのは、あまりにも異様なことです。(この
文章を書きかけの12月初旬に、とりあえず「一年間とす
る」旨の発表がありました。しかし、成果ではなく時間
で区切っているところが、なんとも莫迦莫迦しいという
か何というか……法律の文章としてああいう表現しかで
きないのだろうとは想像できますが、しかしそれならそ
れで、首相の談話なり国会の発言なりで「どういう条件
がそろったら帰る」と明確に示せなかったのでしょうか。
そもそも一年という期間自体、延長不可とは決まってい
ないので、以下の議論はそれでも有効になってしまうの
ですが。)
合衆国が撤兵したら、では自衛隊も退くのでしょうか?
来年6月のイラク人による政権発足を機に「というわけで
偉大な合衆国は見事イラク戦争に勝利したので米軍は帰り
ますよん」と(内戦の危機にゆれているだろうイラクを
ほったらかしにして)言い出したら?
あるいは逆に、米軍が「新生イラク共和国の強い要請に
もとづいて長期駐留する」と決めた場合は? 「長期に
駐留」しながら実際には段階的に手を引き始めたら?
自衛隊に損害が出て、補充が急きょ必要になった場合は?
またさらに……自衛隊の派遣可能な「非戦闘地域」を、
「現在も戦闘がおこなわれず、また将来の派遣期間中も
戦闘のおこなわれないと思われるところ」とまで厳密に
法律で定義しておきながら、首相と防衛庁長官がそろいも
そろって、
「どこが安全かなんてわかるわけないでしょ」
「イラクは危険だが、だからこそ自衛隊を送らねば」
「渋谷でも女子校生が殺されるんだから、完全に
安全な場所なんて地球上にない(ゆえにイラクの
非戦闘地域が少々危険でも問題なし)」
「危険な非戦闘地域もあれば、安全な戦闘地域もある」
などと、小学校2年生でもそれよりはマシな屁理屈は
言うだろ!とツッコミたくなるような恥知らずなことを
言ってのけるとは、いったいどういうことなんでしょうか。
(実際、僕の甥っ子や姪っ子でさえ、これよりも百倍は
マシな言い訳を口にするのです。)
では、実際にはどうすればいいのでしょう。もしくは
どのような選択肢が残されているのでしょう。
(ちなみに、「じゃあどうすればいいの」という
表現はこのテの問題を論じるTV番組などで最近
やたらと司会者がゲストに対して用いるのですが、
これは、
「目的は何か」
「どうなるのがベストな状態なのか」
をその前に定義せねば、まったく無意味だと常々
僕は思っておりまして……でもって、そういう
番組に限って、
「この国にとってのベストの状況とは何か」
を論じないまま、人も死ななけりゃ貿易収支も
悪化せず、おまけに国際社会とやらの尊敬も勝
ちとっちゃうような妄想めいたシチュエーショ
ンを言外に望んでいたりなんかして……そんな
こんなで最近は、番組で司会者がこの科白を口
にした瞬間にリモコンをつかんでヒストリー・
チャンネルとかCNNとかに切り替えてしまう
のです、新城は。
なにしろ、911以来歪みまくった報道を垂れ流し
ているとはいえ、それでもまだCNNには上記
のような無意味な問答を試みる司会者は、未だ
登場していないのですから。)
ちょっと極端な例を、いくつか(冗談まじりに)
即興で想像してみましょう。
ベストの状況を仮に「できるだけ人的被害を少なく
すること」とするならば……採るべき策は「人員
派遣をしない」か「とにかくたくさん送って陣地
防衛に徹する」のどちらかになるでしょう。「何が
何でもイラク国民に人道的貢献する」ならば、軍事
に限らずあらゆる人材装備を送り込む方法さえ考え
られます。「国際協調こそが目的」だというなら、
いっそ国連で大演説でもして欧米諸国の意見を一致
させるまで頑張ればよろしい。「対米追従だよ!」
というのなら、むしろ在日米軍維持予算をさらに
増額したほうが効果的なような気もしますが。
しかし、一見してわかるように、これらを全部同時に
完全に達成することはできません。つまり、目的は
いつだって「優先順位」が必要なのです。しかし、
今回はそれをきちんと議論した痕跡が(すくなくとも
法律と実施計画を見るかぎり)見当たらないのです。
いずれにせよ。
目的を定め……知恵を尽くし……現在の状況を把握し
……最悪の結果を予測しつつ最善の結果にむかって努
力する、という合理的なステップを踏まなければ、た
とえ正しい道を選んだとしても、僕たちはけっして報
われることはないでしょう。
*
念のため……状況の正確な把握について、ここで
さらに一言つけ加えておきます。
どうしたことかこの国ではあまり報道されていな
いようですが、現在イラクで暴れている連中には、
少なくとも三種類あることを僕たちは忘れてはい
けないと思います。すなわち、
1)サダム・フセインに忠誠を誓っている者たち
2)イスラーム原理(より正確には過激)主義者たち
3)アラブ民族主義者たち
もしも現在のイラクの悲惨な現状が、真に「抵抗運動」
に転化するとすれば(もしくは既にしているとすれば)、
それはおそらく2)と3)の混合か中間点あたりから
始まるはずです。
なんとなれば過去の歴史が教えるとおり……正規軍の
駐留に少数の勢力が対抗するためには、
a)国内民衆の支持
b)いざというときの避難地域
c)駐留軍の行為をとがめる諸外国の人道的視線、
もしくはそれを惹起させる外交工作
が、これはもう絶対に不可欠なのですから。
これはあらゆる革命、叛乱、ゲリラ戦争、レジスタンス、
等々に共通した要素です。それこそ合衆国の独立戦争さ
え、この枠組み内にぴったりとあてはまります。
これら条件が揃わなければ、どれだけ隠匿武器があろう
とも、どれだけ軍資金があろうとも、どれだけ恐怖と不
安で地元住民の密告を押さえつけようとも、駐留する正
規軍に対抗することはひどく困難になるのです。
ましてや、
d)「撤退したほうが得だ」という駐留軍本国の
政治的判断
を引き出すことは。
だから、独裁者に忠誠を誓う(もしくは今さら謝罪しても
許してもらえないとわかっているので反抗側に身を投じた
ままになっている)勢力が、どれだけ派手なドンパチを駐
留軍にかましているからといって……もしくは無辜のイラ
ク人をまきこんで自爆テロをくりかえしたからとて……、
それだけで有志軍が負けを認めて引き下がることはないで
しょう。最近の一部の論調で、
「いつまでたってもドンパチが終わらないやんけ」
→「だからこのままいけば米軍の負けだ」
というのを見かけますが、僕は賛同できません。その結論
にではなく、その論理に賛成できないのです。
有志軍が負ける可能性は、確かにゼロではありません。
しかしそれは、けっして、上記勢力1〜3が持っている
火薬や弾丸の量によってではないのです。有志軍勝利の
可能性がその膨大な兵力と最新の軍事技術によって保証
されているわけではないのと、同じように。
手際の悪い占領政策と、不合理で偏った復興作業が、
とりかえしのつかないくらいに続いたら。上記三勢力
(仮に有志占領軍が今日退いてしまえば、彼らは明日
から互いを標的として泥沼の抗争を始めるでしょう)
を混同して、彼らに大同団結する機会を与えてしまっ
たら。
その時には、自爆テロとロケットランチャーに表面
は覆われていたかにみえたイラクの地の奥底から、
無数の民衆の本気の怒りが沸き上がり、いつの時代
でも勝利の兆しであるあの憤怒の一言、
「……もう、こりごりだ!」
が爆発するでしょう。
そして、その時こそ僕たちは(そう、「彼ら」では
なく「僕たち」は)負けるでしょう。
あるいは、その意味において、僕たちはもともと
負けるべきなのかもしれません。
それとも……「民族自立」という金看板もまた911の
粉塵もろともお払い箱になりつつあるのでしょうか?
人工的に引かれたイラクの国境線内に、それでも数十
年かけて芽生え始めていたものは、ここで一気に「な
かったこと」にされてしまうのでしょうか?
そのほうが「善い」のか否か、僕にはわかりません。
しかし、その代わりに何が来るのでしょうか。グアン
タナモ主義が、修辞と諜報にもとづく不安な秩序が、
僕たちの住む惑星の新たな風潮になるのでしょうか。
またそうした考え方が、けっして安定しているとは
いえない僕たちの東アジア地域において今後どのよう
な悪影響を及ぼすのでしょうか。
今の僕には判断がつきません。
正直なところ。……
自衛隊を出すか出さないか、大量破壊兵器があった
のかなかったのか、戦争なるものに大義が必要なのか
そうでないのか、これから採るべき道は国際協調なの
か対米追従なのか、諜報化された社会に生きるべきか
否か。それらの問い自体に限ってしまえば、僕にとっ
ては、どれも「どちらの結論でも賛成できる事柄」な
のです。べつに二股かけてるとか、ニヒリズムとか、
そういうことではなくて……最終的にどちらの結論に
達するにせよ、きちんと目標を定め、リスクとコストを
計算し、万一の備えを忘れず、理を尽くして語り考え
ぬいた上での結論ならば、僕は賛成できるということ
なのです。
それ自体で正しい結論などというものは、この世には
滅多にありません。
良い質問と健康な過程こそが、よりまともな結論に僕
たちを導く、というだけのことなのです。
*
いずれにせよ、今おきていることは(最悪の場合)
約三五〇年ぶりの大変動であり、大変動であるが
ゆえに考える速度が現実に追いつかずに誰も彼もが
あちこちで判断ミスを重ね、それらの影響もまた
数百年くらい続くかもしれないというのが、目下の
僕の心配であります。
僕たちは、あと数ヶ月以内に、今後百年単位の方針を
考えて覚悟を決めねばならない(もしくは考えそこね
て今後百年単位で後悔する)かもしれないのです。
(最後の注:というわけで「あと数ヶ月」はあっという
間に通り過ぎてしまい、たぶん「あと数週間」くらい
かな、というところに今はなっています。)
*
だから……最後に僕は、とくにこの文章を目にして
いる若い人たちに、今はこんなふうにお願いしたい
のです。
どうか冷静さを手放さないでください。
寛容さを忘れないでください。
深呼吸して「ちょっと待てよ」と考える癖を
つけてください。
いろんな本を読み、いろんな人と会って、
いろんな話をしてください。
今の自分の無知や無力ではなく、将来の無能と
無気力をこそ恐れてください。
二者択一という罠を前にした時は、三番目の
方策が本当にないものかと想像してください。
「やつら」などという、顔も声もない便利で
邪悪な塊は、この世に存在しないことを知って
ください。
そして、もしかしたら間違っているのは自分の
考えのほうかもしれないという可能性を、いつ
も心の片隅にとっておいてください。
……なぜなら僕たち大人の多くは、こうした
ささやかな美徳を、間もなく手放すかもしれ
ないのですから。